鉄道かバスか


チャイを飲みながらルートを確認する。
タージ・マハルから西へ約3km。
一本道でもあり歩いて行くことにした。

1時間もあれば着くだろうと歩き出した。
人が歩くことを想定していないのか、歩道は荒れたままでとても歩きにくい、ついでにリキシャが何度も併走し声をかけてくる、相手をするのが面倒なので道路を渡り右側を歩くことにした、こうなると車などは対抗から来ることになるので私に併走して声をかけられない。







20分ほどで、左手のゴルフ場が終わり、整地された土地になった。
しばらく歩いていると、いきなり後ろから「ミスター!」と声をかけられた。
振り返ると軍人だった。
肩からはマシンガンを提げている。
「なんで軍人に呼び止められるんだ?」と状況を理解できない。
「あなたは写真を撮らなかったか?」と丁寧な口調で聞いてきた。

それでピン!ときた、軍施設を撮ってしまったのかもしれない、それを見つけた警備兵が私を追いかけてきたのだろう。
私は、D300のモニターを彼に見せてタージ・マハルの最後のカットから順に見ていった、3分前に撮った、走っているリキシャの爺さんの写真の後ろに門が小さく写っているカットがあった。
彼は、この写真だと指摘した。
あの整地された土地は軍の施設だったのである。
インドは準戦争状態にあるので、軍の施設およびそれに準じる施設は撮影禁止である。

4年前のヨルダンでも同様のことをしてしまい、一悶着あった。(ヨルダン・シリア旅行記「砂漠と風と遺跡と -トラブルとらぶる-」の章)
今回は軍の施設とは気づかなかったので、すっかり油断していた。

施設に連れていかれるとまずいし、応援を呼ばれてもまずい。
「まったく気がつきませんでした。ごめんなさい。」と、そのカットを彼に見せながら躊躇せず消去した。
もう一度撮影したカットを前後に見せて、そのカットを消去したことを確認させて、「これで良いですよね。それでは。」と言って彼に手を振り、反論する間を与えず、その場を離れた。
彼は何か言いたそうだったが、目の前で問題の写真、それも門が隅に写っているだけの写真を消してしまえば追求できないだろう。

デジタルカメラだからできることであり、フィルムカメラだとフィルムを抜き取られていたであろう。
追いかけてこないところを見ると無事釈放ということで。

私の旅のトラブルは写真がらみが多いので、ほんとに気をつけないと。
そんなこともあり、アグラ城に到着するまではカメラをバックに片付け、しばしの撮影自粛。

約1時間弱でアグラ城に到着。



















赤砂岩で造られた城である。
ここでもガイドはいらないかと寄ってくるがお断り。
入場料300ルピー、当然、外国人料金。













面白いのは金曜日だけ入場料金が無料である。
タージ・マハルは金曜日は閉鎖で入場できないので、代わりにこちらを無料にしてタージ・マハルを遠くからでも見ることのできるように配慮しているのか。






































整備された庭など眺めて、ヤムナー川が見える場所に出た。
多くの観光客がタージ・マハルをつまむようなポーズで写真を撮っている。
遠くから見るタージ・マハルは正面から見たときのような美しさは感じることはできないが、存在感はある。
観光客がリスに餌を与えているのを見たりしていたが、飽きてしまった。
もう満足。

















































城を出ると14時・・・予約しているデリー行きのタージ・エクスプレスの時間は20時30分。
あと6時間半もある。
K君が「ogawaさん、アグラから戻ってきたら一杯飲みましょうよ。」と言ってくれていることもあり22時30分ニュー・デリー着の列車より、もう少し早い列車に変更できないかと思い、アグラ駅に戻ることにした。リキシャで約30分、アグラ駅に到着。







さて、どうするか。
外国人用の予約オフィスは前日まで、当日はインド人と同じ窓口で並ばないといけない。当日用のオフィスに移ろうとしたら、ある人物に声をかけられた。
私は瞬時に警戒モードになった。
身分証を先に見せて、私はタクシー・ドライバーのBと名乗った。(名前を忘れた)

タクシー・ドライバーが鉄道の切符売り場で声をかけてくるのが理解できない。
ともかく鉄道の係員がいないので、軽い気持ちでB氏に話しかけた。
「20時30分のタージ・エクスプレスだが、これより早い時間のデリー行きに切符を変更したい。」
「まずキャンセルは10%のコミッションを取られる。次のデリー行きの列車は17時30分である。その列車の当日切符は1時間前にならないと販売されない。」と説明をした。
嘘か真実か分からないので、とりあえずその場を離れ、当日の切符売り場にいくと長蛇の列、すべての窓口は15時30分発列車となっていた。
B氏の説明は嘘ではなかった。

キャンセルするにも長蛇の列、とりあえずキャンセルのため書類に必要事項を書き込んで並んでいた。
帰りはコンパートメントで400ルピー(約800円)なので、キャンセル料が戻ってこなくても惜しい額ではない。
次の切符をどのタイミングで買うのかがよくわからない。

そこにB氏がやってきた。
「どうですか?」と聞いてきたので、つい「キャンセル料は要らないけど、次の列車の切符を買うタイミングがわからない。Bさんのタクシーでデリーまで何時間で行くのか、そしていくら?」
「約2時間で2,500ルピー。(約5,000円)」
「1,500ルピーでは。」
「だめだ。2,500ルピー」
アグラからデリーまで約200km、大阪-名古屋の距離である。
払えない額ではないが、このままタクシーに乗っても面白くない。

その気配を察したのか、B氏は「ノンストップのエアコンバスでデリー便がある。それを使えば良い。私のタクシーに乗れ。」
なんか怪しい展開になってきたが、時間もあるし状況を見てということにした。
B氏は、タクシーに乗ると一冊のノートを私に見せた。
そこには日本人旅行者がB氏への感謝の言葉がほぼ一冊に書いてあった。
要はこれを見て信用しろという意味である。
「私はこういうのは信用しない。」と言って黙った。

タクシーは5分程走って、旅行代理店の前に止まった。
そのまま旅行代理店の中まで入っていくと、B氏がデリーまでの「バスの便の希望者だ」と告げた。
店主はすぐに電話をかけて「17時発のデリー便がある、400ルピーだ。」
「所要時間は?」
「4時間だ。」
ということは21時にはデリーに着く。
到着はデリーのHaarat Nisamuddin R.S駅の近くのバスターミナル。
予定より2時間近くデリーに戻ることができる。
私は、その切符を買うことにした。

切符を買うとB氏はそのバスが出発する場所まで送ってくれた。
そこはバスターミナルでなくチャーターバスの営業所であった。
代金を払おうとすると、「いらない。その代わりの(鉄道)の切符とキャンセル用紙をくれ。」
なるほど、キャンセル料を支払っても360ルピー手に入る。
もともと捨てても良いと思っていたので、B氏に切符とキャンセル用紙を渡した。
B氏は去っていったが、騙されたという感じではなかったので嫌な気分にはならなかった。
おそらく私が切符を捨てても良いということに気づいて、このような策を弄したのだろう。







営業所の前には「TOURIST」と書かれたバスが止まっていた。
営業所のボスらしい人にチケット見せながら聞いた。
「17時発のデリー行きのバスはあれか?」
「そうだ。」
「何時間でデリーに着く。」
「4時間。」
私は、K君に「鉄道からバスに変更して、21時頃にHaarat Nisamuddin R.S駅横のバスターミナルに到着する予定。」と連絡した。
1時間半ほど、その営業所で時間つぶし。




























































近くを撮影したり、営業所の従業員と仲良くなり一緒にチャイを飲みに行ったりした。
そして17時。
バスは定刻通り出発した。
ただしノン・エアコンバスである。どこがエアコン付きだ。
客は私を含め3人・・・これでデリーまで行くのか?
営業所の若い人間が数人乗っている。
運転手が、運転席の神に供える花が無いと若いモンにジャスミンの花を買いに走らせている。
そして10分ほど走って郊外のバスターミナルのような所に止まった。
若い人間は一斉にバスを降りて「デリー、デリー」と連呼しながら客を集め始めた。
なんてことはない、単に乗り合いバスじゃないか。
1時間近く客集めをして、約60人、満席となった。



営業所のボス











すでに18時、こりゃ21時にデリー着なんて無理だ。
K君に「まだアグラ、どうやらデリーに着くのは21時半以降になりそう。」と連絡する。満席になったバスは、やっとその気になって走り始めた。
チケット代の回収が始まり、個人個人が支払っている額はなぜかバラバラであった。
私と同じ400ルピー払っている人もいれば、100ルピーや150ルピーの人もいる。
なぜだろう?
30分ほど走って理解した、大きな街に入ると降りる人がいた。

「なんてことはない、村々を結ぶ各駅停車じゃないか。どこがノン・ストップだ。」と苦笑するしかなかった。
従業員はここでも「デリー、デリー」と叫んで客集めをしている。
バス1台が営業車両で、それで稼ぐだけ稼ぐという商売。













バスは真っ暗な道を村ごとに止まり客を降ろしていく。
20時、デリーの100km手前のドライブ・インで休憩。
運転手から従業員まで食事を始めた。
私はコーヒーを飲みながらK君に連絡。













「まだデリー手前の100kmのところのドライブインで休憩中。これは遅くなりそうだから、先に食事していて。」と連絡する。
しばらくしてショートメールに返信、「Lが、せっかくだから一緒に晩ゴハン食べようと言ってますので、また近くなりましたら連絡ください。」
返って彼らに気を遣わせてしまうことになった。
早くデリーに戻ろうと変更したらこの結果。
でも旅としてはとても面白い。

結局、ドライブインをバスが出発したのが20時45分。
その後も、K君とメールのやりとり。
そして23時、Haarat Nisamuddin R.S駅のバスターミナルに到着。

深夜の駅で列車待ちの人々など被写体がゴロゴロしていたが、ともかく早くK君と合流するべく待ち合わせの場所に急いだ。
K君とL嬢は軽く食事した後、チャンデル氏と車の中で22時から待ってくれていた。
ほんとにゴメンな。
家の近くまで戻り、ちょっと高級なインド料理店に閉店前に滑り込み。
やっと晩ゴハンである。














K君とL嬢に今日撮影したタージ・マハルの写真を見せて「途中で晴れたのだよ。」と言うと、K君が「ボクが晴れるように祈っていたんですよ。」と。
結局17時に出発して、23時前に到着したのだが、客集めに1時間、途中休憩45分を引くと、ほぼ4時間で走ったことになる。
営業所のボスが言っていた4時間でアグラーデリーを走ったことになる。
インド的だなぁ。
明日はヴァラナシ。


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