教会での祈り 快晴。 マニラ地区に向かう。 日曜の朝ということで大通りはガラガラ。 横断歩道が少ないので、スピード出して走っている車の間をすり抜けて渡るのは結構おっかない。 ジプニーはでかいし。 公園を抜けて城壁に囲まれたマニラ地区へ。 16世紀にスペインの植民地だったフィリピンは、20世紀に入り独立するとともに、実質アメリカの支配の元に入った、そのため東南アジアでは一番アメリカ文化の影響を受けた国であろう。 サン・オウガスチン教会。 フィリピンも、第二次世界大戦の激戦の舞台となった国である。
もちろんマニラのあるルソン島も例外ではない。 日曜の朝なのでミサの時間に合わせて続々と人がやってくる。 私も堂内に入ろうしたら「ツーリストはダメ」と止められた。 駐車場から道路にでると足元の感触がちがう。 そのまま歩いていきマニラ教会へ。 こちらは戦後の建築。 入場できるが、満員なうえに中は人の熱気で暑い。ということで、チラッと覗いただけで、そのままマニラ地区の先端のサンチャゴ要塞に到着。 19世紀末、スペインからの独立の英雄、ホセ・リサールが最後まで戦った砦である。 砦の建物は中に入れず、瓦も落ちてなんとなく朽ちるままという雰囲気である。 砦の続きに、そのままホセの住居が記念館になっている。そこには暇にしている管理人が私が入っていくと台帳に記帳してくれと言ってきた。言われるままに記帳すると、一番右端の欄が寄付の金額が書かれている、全部500Pと記入されている。 一瞬「えっ、高い」と言ったが、よく見ると住所と名前の書体と寄付額が違う書体である。 もと来た道をそのまま戻るのもつまらないので、一筋横の道を歩くことにした。 道路で子供たちが遊び、親は賭け事をしたりしている。 でもそこに私の居場所はなかった。 やはり旅人が歩いて歓迎されるところではない。 そしてマニラ区の城壁を後にしてLRTの駅に向かった。 ここのマーケット、日曜日は、すごい人出であるというガイドブックの記述があって、なら行って見ましょうという。 延々と屋台が続いている。 その屋台の間を車が走っていく、いったいこの通行規制はどうなっているんだ。 その市場をなんとか抜けて、バクララン教会へ。 中に入って驚いた。 祭壇が遥か遠くに見えるだけで、両側に一定間隔でモニターが設置してある。 「う〜ん、こんなミサ初めてだ。」 サン・オウガスチン教会でもマニラ教会、そしてここ。 それだけキリスト教が生活の一部になっている。 さて昼、何を食べようかとホテルに戻りつつ考えていたが、通りがかったショッピングモールのフードコーナーに行くことにした。
|