パルミラへ


ペトラと並んで遺跡に行きたがらない私が行きたいと思っていた遺跡、パルミラ。
シルクロードのオアシス都市だったのが3世紀、女王ゼノビアのもと一瞬だけ歴史の表舞台に現れた都市。

ホテルをチェックアウトする時、オヤジに「明日戻ってくるから荷物預かってくれないか。」
「OK、ノープロブレムだ。」
ということでカメラバッグに1泊分の着替えだけ入れて、後はホテルに預けた。
荷物が減ると気分が楽になる。

パルミラはダマスカスからイラクに向かって約200kmのところにある。
タクシーでバスターミナルへ。

多くのバス会社がパルミラ行きのバスを1時間ごとに運行している。
私の顔を見ると「タドモール(パルミラ)」と声がかかる。







サービスは似たり寄ったりのようなので目に付いたバス会社の切符を買った。
チケットに書かれているターミナルナンバーは25。
ところがターミナルの標記はアラビア文字。
読めない・・・え〜どこなんだ??


人に聞いてなんとか25番ターミナルにたどりついた。
バスは定刻どおり出発。

昨日シリアに到着した時気になっていたのが車の修理、部品屋。
車をぶった切って店頭に並べている。
面白い眺めだ。













市内を抜けると砂漠。
その中を一本の道が黒い線を引くように進んでいる。
ときおり現れる道路標識には「LEBANON」「BEIRUT」「IRAQ」「BAGHDAD」など火薬の匂いがする地名が標記されている。







約3時間でドライブインの前に停まった。
「こんなところで休憩?」と思ったらここが目的地だった。
英語の話せない車掌が身ぶり手ぶりで教えてくれたことは、バス会社ごとに契約しているドライブインがあって、そこから発着するという。

バスターミナルがあると思っていたから、そのことを理解するのに時間がかかった。
ここはパルミラのニュー・シティというエリアになり、遺跡のあるエリアはオールド・エリアとなり、約2kmほど離れている。

普段であればこの距離なら歩いていくが、13時・・・太陽は真上、おそらく気温は40度を超えているだろうし、どちらの方向に向って行けばいいのかわからない。

結局、最後まで私を待っていたタクシーを使うことにした。
「乗ると早速、宿は決まっているのか?」
「いんや、まだ。」
「グッドホテルがある。」
「OKだ。そこに連れていってくれ。」
なんとなく大丈夫かなという気がして任せることにした。
彼の名はアリ。
イスラム圏で最大勢力を誇る名前である。


10分も走ってSUN HOTELというホテルの前で停まった。
遺跡にも近いし値段もこんなもので部屋もきれいだったし、ただ外に向けた窓が無い。
晩ゴハンは5USドルのオプション。







14時過ぎ。
遺跡に行くには暑い、いや熱すぎるので休憩。

通りは誰も歩いていない。
こんな時に遺跡まで行ったらイリコになってしまう。

16時頃、だいぶ日も傾いてきたので遺跡にいくことにした。

遺跡に向かう道路を歩いていくがまだまだ暑い。
手ぬぐいを頭からかぶって、その上から帽子というスタイル。
遺跡から歩いてきた女性とすれ違う時
「Hi!」「Hello!」ではなく「Hot!」
という言葉をかわしたぐらい暑い。







遠くに遺跡が見えている。
観光客は誰もいない。
私が遺跡につくと、どこからともなく土産物売りが現れてくる。
アラブの服装で頭からかぶる布とそれを押さえる輪っかである。
これなら買う観光客もいるだろう。

























列柱を見上げた上には蒼穹の空。
乾いた空気と40度を超える暑さ。



































































砂漠を越えてきたシルクロードの旅人にとって、このオアシス都市は旅をつなぐ命をつなぐための存在であったことは容易に想像がつく。
「砂漠とオアシス」というロマンチックなイメージは、この厳しい自然を経験するとそんなイメージは無くなってしまう。




































































































































1時間ほどいたが、次の予定があったので一旦ホテルに戻ることにした。



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