南京慕情


 南京・・・第二次世界大戦中の「南京大虐殺」などで地名を知っている人は多くいますが、特別な観光地でもないので行ったことのある人は少ない場所です。なぜ我々が行ったかと言えば北京と蘇州の間にあるという理由でしかありませんでした。
行ってみると確かに何も無い街でした。でも、初めて中国人の親切にふれ、年輩の知識人と日本と中国の歴史と文化大革命について会話ができた街でした。
そして写真を見て思い出したことがあります。
 当時南京で最高層ホテル「金陵飯店」ができたばかりだったみたいで、我々もそこに泊まろうと言ったのですが「没有」に一言で泊まれませんでした。当時の中国の個人旅行では珍しくないことでした。部屋はあっても仕事をしたくないので受け付けてくれないなど、「働いても働かなくても給料は同じ」の考え方でしした。
「サービス」なんていう言葉は何処にもないのが当時の中国でした(^^;;
その金陵飯店ですが、中国人立ち入り禁止だったのでいつも人だかりでした・・・それも今から思えば不思議な光景です。
自国のホテルなのに自国の人間が入れないというは中国各所でありました。



とりあえず揚子江にいきました・・・河口から上流500kmです。
遠くの橋は南京大橋です。












上海まで3泊4日で船で行くこともできます。






今はこのような構図の写真はまず撮らないですね。






中山公園・・・中国の都市の中心にある公園はこの名称です。

ここで中国の専門学校性のMiss Cheng Ci(彼女の写真はありますが私と並んでいるのでアップはしません(^^;;)が、公園の入り口で英語が通じなくてオロオロしている私たちを見かねて「May I help you?」と助けてくれて一日南京市内を案内してくれました・・・初めて触れた親切でした。とっても可愛いお嬢さんでしたよ(^^)






屋外散髪屋












典型的な中国共産党員家族










南京でもう1人お会いしたのが知日派の蘇先生・・・大学の教授でした。
文化大革命の後遺症について、日中関係についていろいろご教授くださいました。
中国の公安当局は中国人と外国人の接触を規制していました、それが文革がおわり解放政策といっても過渡期の当時は矛盾だらけなので、それと外国人と話と公安に目を付けられるというのが一般的な考え方でした。従って言葉の通じない個人旅行者に近づこうとするものはいない・・・ということになります(^^;;











いい顔だよ。






貸本屋






この頃には免税店に買っていった煙草(セブンスター)が切れていましたので
その土地土地の煙草を喫っていました・・・当時は喫煙者でした。






この焼き芋は美味しかったよ






これが金陵飯店です。
回りは見物人です・・・(^^;;
玄関まで行くのに一苦労







こんな感じ






金陵飯店の最上階のレストランから見た南京の街
高い建物がなく、広告看板もほとんど無いことがわかります。

次は杭州の写真をアップします。

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