はじめに・・・海外に行けない夏


2020年1月から世界中に広まったコロナ禍のため実質海外旅行ができなくなってしまった。
2月になり、まずインバウンドの旅行客が消滅し、国内も不要不急の旅は自粛傾向になった。
そしてヨーロッパ、北米でロックダウンが始まった。日本は、3月2日に小中高の臨時休校要請がだされた。そして4月7日に7都府県に緊急事態宣言が出され、その後全国に拡大、5月7日に延長され5月26日解除となった。
この3ヶ月、旅行どころか日本経済が止まる事態となった。

6月になり徐々に生活が戻り始めたが、7月に入ると、都市圏を中心に陽性者が増え始めた、その最中、7月22日から前倒しでGoToキャンペーンを始めようとしたところ、直前に東京都民や学生や高齢者の団体旅行を除外するなど、場当たり対応となった。

これによるキャンセル料を払わない方針から払う方針に変更になるなど、細かなルールが決まらないまま開始したため旅行社や事業者、旅行者が混乱した。
キャンペーンと前後して感染者が増え始め、お盆休暇は「帰省は遠慮してほしい」という自治体の長と国は「帰省の規制はしない」とちぐはぐな対応で国民は混乱に陥った。
ここで政治批判をするつもりはないが、日本が機能不全陥った夏となった。
なぜ、このような当たり前のことを記しているかというと、後年、読み返した時のためである。

2年前も平成が終わる年の記録として「平成最後の夏、2つのアジア旅」として旅行記をアップしている。
私は3月上旬にバルセロナinパリoutの航空券を取っていたが、スペイン、フランス、イタリアなどでコロナ禍が拡大し、泣く泣くキャンセル。
非常事態宣言の前で国際線は通常運行をしていたためキャンセル料も発生し、バルセロナ-サンセバスチャン、ビルバオ-パリの現地でのフライトも払い戻しできないチケットのため、それだけで数万円が消えた。

また、4月下旬の石垣便を予約していたが、こちらもあえなくキャンセル。
こちらは緊急事態宣言の後だったためキャンセル料はかからなかったがせめても救い。
夏も行き先を決めていたが、それどころではなくなってしまった。
4月以降、国際線は対前年比99%減、徐々にフライトは増えてきてはいるが、旅行目的で利用できるのはまだまだ先のことであろう。
学生時代ヨーロッパ、インドと旅をし、1984年卒業旅行で中国を旅して以来、旅行、仕事含めて海外に行かなかった年はなかった。
10回以上渡航した年もあった。
2020年は37年ぶりに海外に行かない年になりそうである。

このサイトの海外旅行記で1999、2001、2004年にあえて沖縄編をアップしている。この頃の沖縄はチケットが非常に高く、東南アジアに行くのと変わらない料金であり頻繁に行くことが難しかった。それと、東南アジアの雰囲気と海の美しさが印象に残り、あえて海外旅行記として残した。
10年の空白後、2014年以降、毎年、八重山を中心に行くようになったが、旅行記は作らずSNSにアップして終わりとしていた。
ただ、今年は先の事情もあり海外旅行記は難しいため、規制が緩和されたタイミングで行った国内の旅をHPで残すことにした。
一つは八重山、もう一つは北海道。


石垣島へ

表紙へ

海外旅行目次へ