サランコットの丘へ


朝5時。
寝過ごすことなくホテルのロビーに下りるとドライバーが待っていていた。
「大丈夫。今日は山が見える!」
握手をして車に乗り込む。
スズキの800CCタイプ。日本の軽のボアアップ版である。
見た目そうとうくたびれているが、乗ってみると、なお実感。
サスペンションはへたっている、窓も下げるのに一苦労。
「サランコットの丘は、上(の展望台)と下(の展望台)とあるが、どちらに行くか?」と聞いてきた。
30年前行ったのはどちらなのかまったく知らない。
とりあえず「上(高い位置)のほう」と答えた。
ドライバーは真っ暗な道を走り始めた。
けっこう飛ばす。
そして道路の陥没部分とかうまくかわしていく。
いい腕している。
工事中の道路も盛り土を避け対向車をかわし走っていく。(工事中の道路走るか!)
「30分ほどかかる」と言いながらアクセルを踏み込む。
登り道に入るともたつく前走車を追い抜いていく。
アスファルトの切れた砂利道だし、左は崖なのでけっこう怖い。
走り慣れている道とはいえたいしたものだ。
うっすらと明るくなり山の形が見えてきた。
「あれはアンナプルナ」とハンドルをさばきながら教えてくれる。
途中、入山のため50ルピーを払い、さらに飛ばしていく。
ホテルを出てちょうど30分。



前走車全部追い抜き!







左は崖!


上の展望台の麓に到着。たいしたものだ。
「ここから登っていくのだ。1時間後ここで待っている」と言って車を降りた。
急な階段を登っていく。
あれ、前回はこんな階段を上った記憶はない。
けっこう急な階段である。10分ほどで到着したが完全に息が上がっていた。
標高1,592mの位置にある。



ここから上る





























正面にはマチャプチャレ、左右にはアンナプルナが夜明けの光のなか浮かび上がっている。



























なぜか犬もちゃんと見ている!


















30年前、ツアーでMaさんとKoさんの2人の女性と一緒であった。
お二人とも私と友人Aより4~5歳年上で現職の看護師であった。
ツアー後もよく一緒に飲みに行ったりしていたが、この15年ほどは年賀状のやり取りのみであった。
昨年、Aが年末に喪中ハガキをMaさんに出したところ、Maさんの妹さんから「姉は今年初め(2016年)に急性肺炎で亡くなりました」という手紙が届いた。
看護学校の学部長を務めるなど長年看護の仕事に携わってこられた方がよもや60代前半で逝ってしまうとは。
Maさんとずっと年賀状で「またネパールに行ってサランコットの丘に行きたいですね。」とやり取りをしていた。
明るくなってきた峰々を見ながら、「Maさん、ここから見るヒマラヤは変わっていませんよ。やっと約束を果たせましたね。」とつぶやき黙祷した。
私からMaさんへの弔いである。

1986年のサランコットの丘














目の前のヒマラヤはすっきり晴れていないこともあり、霞がかかったようである。
すっきり晴れてほしかったが、この場にこれたことでよしとしておこう。

































ペワ湖とポカラの町、湖上のバラヒ寺院も見える






天気のほうは怪しくなってきて雲が峰々を覆い始めた。
1時間なんてすぐである、車に戻って山を降りる。
ドライバーは「下(の展望台)はどうする」と聞いてきたが、天気も怪しいし、ホテルに戻ることにした。
下りも飛ばすし。
ラリーじゃないのだけど。









日本山妙法寺

























ぜんぶ追い越した!


















ホテルに着くと雨が降り始めた。



コイツでラリー(笑)







凄腕ドライバー!


まだ7時過ぎ、これから朝食である。

ポカラ追跡

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