革命博物館


午後、革命博物館へ。
「キューバ革命」
1952年はフルエンシオ・バティスタが軍事クーデターによって政権を獲得し独裁体制を取っていた。
また、親米政策を取りアメリカの援助のもと政権を維持していた。
1953年にカストロら123名の反バティスタ勢力がモンカダ兵営に攻撃をしたことが革命の発端である。
この襲撃は失敗し多くの犠牲者がでた、フィデル・カストロやラウル・カストロはこの時懲役15年の刑を受け刑務所に収監されていたが、1955年に恩赦で解放される。その後、メキシコに亡命しそこでチェ・ゲバラと出会う。
1956年8月「グランマ」と名づけた船でキューバに戻るが仲間が逮捕処刑されるなどして生き残ったカストロやゲバラが山中に潜伏しゲリラ活動を開始する。
1958年12月31日バティスタが辞任を表明し、1959年1月1日ドミニカに亡命し、革命がなされた。




















「キューバ革命」後。
キューバはカストロ議長のもと共産主義体制となり、1961年アメリカと国交を断絶することとなった。
1962年1月ケネディ政権時のキューバ危機は冷戦を象徴するものであった。
その後、1991年のソ連崩壊でキューバ経済が厳しいものになるなどの歴史を経て、2015年アメリカとの国交回復となる。
結果として60年間反米主義であり共産国家であったことにより、マクドナルドやケンタッキー・フライド・チキンなどのアメリカ企業が進出しなかったことと、物資が足らなかった年代もあり50年代の車などが今も現役で活躍していることとなった。
さて話は革命博物館に戻る。



















入り口にはSU100型自走砲が展示されている。
入場料は8CUC。
正面には革命の父、ホセ・マルティの胸像。
そしてフィデル・カストロの写真と帽子。
その横には革命時のトピックス写真の展示がある。

























キューバ革命の中心的存在ゲバラ、カストロ、カミーロの3人の像、階段を上がると当時の写真、兵站図、通信機など展示されている。
複数のフロアにまたがり結構な展示数である。
ゲバラとカミーロのジオラマまである。
説明文は英語表記もあるが、スペイン語のみもあり類推するしかないのだが、よくここまで記録が残っていたものである。



ゲバラ・カストロ・カミーロ


































































建物を出て道路をまたぐと戦闘機や戦車などの展示スペースになっている。
展示の中心は厳重に保存されている「グランマ号」である。よくこんな小さな船に82人も乗ってメキシコからキューバにきたものである。
いわゆる「国宝」である。















グランマ号





戦闘機や戦車は50年代のソ連製であるが、車でトヨタのランドクルーザーがある。
昔はジープタイプだったとは。

























迎撃ミサイルの展示ともに壊れたエンジンが展示されている。
キューバ危機の最中、アメリカ軍の偵察機U2がキューバで撃墜された残骸である。
これで一触即発の状況まで追い込まれたのである。
もしケネディとブレジネフの間で合意がなければ、第三次世界大戦が開戦したとも言われている。


























最後は記念のモニュメントで、博物館を後にした。
13時過ぎ、博物館を出たが、ともかく暑い。そして、寝不足と時差ボケで眠い。



















ホテルに戻り午睡。
時差ボケ解消するには寝ないほうが良いのだが、2時間寝てしまった。


ダンシング・イン・ザ・ストリート

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