テージョ川の午後


ベレン地区。何度も来ているが、ここの開放的は雰囲気が好きなので、必ず行くことにしている。
ロシオ広場から約6km西に位置している。
市電で行こうとしたら乗車のため列ができている。
首都とは言ってもヨーロッパの田舎である。どこかのんびりした雰囲気をもっていたのだが、6年も経つとこんなに変わるものなのか?

市電で約20分、ベレンへ。
まずジェロニモス修道院へ。
修道院エリアは有料だが、サンタ・マリア教会は無料で入ることがでる。
この修道院はポルトガル全盛時代の16世紀、エンリケ航海王子とバスコ・ダ・ガマの偉業を記念して1世紀かけて造られたのである。
いつものように安全に旅ができるよう祈りを捧げた。(そのような意味では、ここは最適の教会かもしれない)
ここにはそのバスコ・ダ・ガマの石棺とポルトガルの大詩人カモンエスの石棺が安置されている。

































カモンエスの石棺







こちらはバスコ・ダ・ガマの石棺






























修道院を後にしてテージョ川沿いの「発見のモニュメント」へ。
先のエンリケ航海王子の500回忌の1960年に建立されたものである。
道路を大廻りして反対側に渡り、モニュメントに向かう。
遠目になにか変だと思いつつ歩いて行くと、改修工事中であった。
こればかりは仕方がない。
強がるわけではないが、モニュメントが工事中であっても気にならない、その前の広場にある大理石で作られた世界地図がお目当てである。
この地図には日本もあり、1541年に日本に到達した年号が刻まれている。



道路の真ん中を線路があるので、陸橋まで大廻り







モニュメントの輪郭がぼけているように見えるのは



















改修工事中!



















右上の日本、1541と記されている






川沿いに「LOVE」の造形物。
6年前こんなものなかったぞ。
いつの間に恋愛スポットになったのだ。
ハート型のプレートを掛けるようになっていて、おまけに隣でそのプレートを販売しているのをみると苦笑するしかない。



















さて、モニュメントの次は約500m先のベレンの塔へ。
モニュメントを振り返ると遠くに4月25日橋が見える。
もともとこの橋はサラザール橋と呼ばれていた。
974年4月25日、革新派軍人がクーデターを起こし新政府が誕生した事件を「リスボンの春」と呼ばれるようになり、それを記念して「4月25日橋」と改名されたのである。
でも私はこの橋の名前は、高校生の頃、久保田早紀の「4月25日橋」の曲で知ったのであるが。



遠くに見えるのが4月25日橋






ベレンの塔。
こちらも1515年にマヌエルⅠ世の命により建築されたものである。
ポルトガル全盛期であり、冨と覇権が集中していた時代の名残である。















暑い、暑い!




































そして定番といえば定番だが、パスティス・デ・ベレンでパステル・デ・ナタ(エッグタルト)とエスプレッソで休憩。

































次から次へと客が

中心部に引き返すとき市電が故障するというアクシデントがあったが、バスや地下鉄乗り継いで市内中心部へ。



水陸両用バス







故障で止まった市電、救援を待つ

次はバイロアルト地区へ。



ケーブルカーとクラフトビール

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