冬季オリンピックの栄光と哀しみ


近年、ダークツーリズムという言葉をよく聞く。
Wikipediaによると、ダークツーリズム(英語: Dark tourism)とは、災害被災跡地、戦争跡地など、人類の死や悲しみを対象にした観光のこと。と書かれている。
ダークツーリズムという概念は1996年に提唱されたとされ、比較的新しい観光スタイルである。
私も、人類の「負」の遺産に惹かれるものがあり、2014年にポーランドのアウシュビッツ強制収用所、2011年にカンボディアのキリング・フィールドに行っている。
ベトナムでも戦争の跡地などに行くし、昨年行ったイスラエルも周辺国の関係を考えたらダークツーリズムの一つかもしれない。
日本も広島の原爆記念公園などがそうである



ポーランド アウシュビッツ・ビルケナウ収容所







カンボディア キリング・フィールド







イスラエル エルサレム







広島 原爆ドーム

サラエボもダークツーリズムの目的地の一つである。
先のページでも簡単に記したが、1992年~1995年、ボシュニャク(ムスリム)人、セルビア人、クロアチア人の民族間の内戦が発生し、20万人の死者、200万人の難民が発生したと言われている。
第2次世界大戦後、ヨーロッパにおける最大の戦争であるが、日本では意外と知られていない。
この時代、日本の国際情勢はカンボディア内戦の終結後の治安維持のためのUNTAC(国際連合カンボジア暫定統治機構)の活動や、国内では阪神淡路大震災やオウム真理教事件などが発生し、日本と関係の薄い旧ユーゴスラビアの内戦についての報道はとても少なかった。













その内戦、私も詳しく知っていたわけではなかったが、サラエボという一点で数少ない報道をフォローしていた。
1984年サラエボで共産圏で初めて冬季オリンピックが開催された。
当時、冬になるとスキー場がよいを続けていた。このオリンピックで男子回転で金メダルのフィリップ・メイヤー、大回転で銀メダルのスティーブ・メイヤーのメイヤー兄弟の使用していたスキー板に憧れ、私もK2の板を使っていた。
そのためスキー競技は中継をほとんど見ていた。余談だが、このオリンピックを録画したいがため、当時出始めで高価だったビデオ録画機器を買ったぐらいである。
そのため「サラエボ」は私にとって記憶に焼きついている土地である。







マダムが作ってくれた朝食はとても美味しく、またボリュームのあるものであった。
最後、デザートのバナナチョコレートのクレープはお腹いっぱいのため断ったぐらいである。



朝食は地下の食堂で






























電車通を西に歩いていくと公園があり、そこには白い墓標がいくつもある。
内戦での死者があまりにも多く、その上、日中は危険なため、早朝深夜に葬儀を行い、墓地も足らないため公園やオリンピック会場に埋めたのである。







































公園のあちらこちらに墓が



















サラエボの車事情。
タクシーを含め6割以上がフォルクスワーゲン。
残りのシェアはルノー、ベンツ、アウディ、スコダか。
だから交差点で、このようなシーンに出会うこともある。

その先に黄色の建物がある。
旧ホリデイ・インである。
内戦当時も営業を続け、報道関係者のベースとなり、ここから内戦状況が世界に向けて発信されたのである。
また、このホテルはスナイパー通りに面していたため攻撃の対象となったホテルでもある。
内戦後はホリデイ・インから地元資本となりホリデイ・ホテルとして営業をしている。と聞いていたが、離れのレストランは営業しているが、ホテルは営業している気配はない。
正面にまわるとサラエボオリンピックやホリデイ・インのロゴの跡が残っている。
また屋上近くには弾痕が残っている。



旧ホリデイ・イン



















サラエボ・オリンピックのロゴ


















営業をしていないためひと気が全くなく、かえってそれが内戦を想起させる。
スナイパー(射撃主)通り・・・内戦当時、両方の陣営がここを通る人を無差別に攻撃をしたためこの名がついたのである。



スナイパー通り

当日の記録映像を見ると、ほんとに人が狙撃されているシーンがある。


墓標と桜

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