墓標と桜


スナイパー通りの商業施設の前を通り抜けると厳重な警備の施設がある。
アメリカ大使館。
大使館の前を抜けてサラエボ駅に行こうとすると、警備の兵士に呼び止められ「写真は撮るな」と言われた。
肩から一眼レフを提げて政府関係施設や軍事施設の前を歩くときは、いっさい撮るそぶりを見せず歩くが、今回のように注意をされることもある。
素直に「yes!」と応えて歩いていく。



画面の左側切れている箇所の左側がアメリカ大使館







サラエボで一番高いアヴァズ・ツイスト・タワー

大使館の先にサラエボ駅がある。
用があるのはその隣のバスターミナルだが、どんな雰囲気なのか中に入ってみた。
首都の駅とは思えないほど閑散としている。
建物はユーゴスラビア時代に建てられたであろう、やたら大きく、無駄に広い。
使っていない施設も多いのだろう、全体的に暗い。
時刻表を見ると特急、普通合わせて1日20本程度である。



















駅を出て、隣のバスターミナルへ。
ここで明日のモスタルへのバスチケットを購入。
モスタルへは1日12便運行している。













さて、スナイパー通りを東にもどり、先ほどの公園の横の道を北に向かう。
2kmほど歩いていくとオリンピックのシンボルタワーが見えてきた。
そして、周辺には膨大な数の白い墓標が。
話には聞いていたが、これほどとは。
墓標を見ると没年のほとんどが1992年から95年の間である。
無意識のうちに十字を切って祈っていた。




















アウシュビッツのように遺品があるわけでもなく、キリング・フィールドのように頭蓋骨が並んでいるわけでもないが、この墓標がすべてを物語っている。







競技場の周辺の一角はサッカー場になっており、多くのチームが練習をしている。
ここだけが活気がある。







オリンピックのメイン施設の玄関には当時のサマランチ会長のプレートがあり、中に人の気配がする。
中に入ってみると、サッカー関係の受付であった。
受付の女性は、私を見て怪訝そうな顔をして、こう言った。
「ミュージアムは隣です」
オリンピック記念博物館に行く予定だったので、お礼を言って隣に行ったが、あいにく休館日である。


明日は開館だが、時間は午後からである。
明日、午後にはモスタルに向かうので残念ながら見ることはできない。
少しでも当時のオリンピックの記憶を手繰りよせたかったが、なかなか来ることができない国だけに残念である。
今までもさまざまな国で休館日や改修工事などで見ることができなかった施設は多くあるが、それほど残念とは感じなかったが、珍しく、今日だけは見たかったという気持ちが強かった。







聖火台のあるスタジアムには入ることができず、塔のあるスピードスケートリンク跡を覗いた。どの施設も実質放置され老朽化が進んでいる。
サッカー場周辺以外は人もいなく、雨が降ったりやんだりという天候もあり、なんとなく重い気分を引きずってオリンピック会場をあとにした。
内戦がなければ、これらの施設は使用できるよう保管され、今でも国際大会で使用することができたのだろう。だが、内戦がすべてを壊してしまい、そして施設の一部は墓地となってしまった。


























途中、あちらこちらで桜を見かけた。
これも日本のNPO法人が植樹したのであろう。


























今見た風景は、静謐かつ哀しい風景であった。


サラエボの夜

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