受胎告知
ナザレ
ここはマリアがイサクと結婚した後、大天使ガブリエルより受胎告知を受けた土地である。
イエスが若い頃はこの土地をとって「ナザレのイエス」と呼ばれていた。
生をうけたベツレヘム、死に到ったエルサレムと並び、ナザレも聖地の一つとして挙げられる。
ナザレへはバスはティベリアから約50分である。
ティベリアからナザレまでは1時簡に1本程度のバスが出ている。
バスは8時30分にターミナルを出発。
40分のち、バスはナザレ市街に入った。
ナザレ・トランスポート社のバス
ナザレ旧市街のバス停に降りようと思っていたが、バスの運転手のアナウンスを勘違いしたのと、バスの終点と思い込んでいたため、まだ先だと思いそのまま乗っていた。
20分も走っただろうか、旧市街を抜けて郊外に出てしまった。
風景が変わり、予定時間をオーバーしている。
ここで乗り過ごしてしまったことに気がついた。
バスの運転手に「ナザレは」と聞くと、「とっくに過ぎた。アナウンスしたではないか」と言われてしまった。
やはり、あの時だったか。
私の乗ったバスはナザレが終点ではなく、ハイファまで行くバスであった。
次のバス停で降ろしてもらったが、郊外の住宅地である。
仕方がない、反対側のバス停に渡り、折り返しの旧市街行きのバスを待つことにした。
住宅地と言っても家がまばらに立っているだけであり、誰も歩いている人はいない。
時刻表の掲示もないから、どのぐらい待たないといけないのかもわからない。
乗り過ごしてしまった
「どじったなぁ」と呟きながらも、いずれバスは来るだろうし、急いでいるわけでもないので、バス停のベンチに座っていた。
目の前を1台のタクシーが停まった。
私が乗り過ごしたのを知っているわけではないだろうが、1人でバス停に座っていれば声をかけてくるであろう。
「何処へ行く」
「受胎告知教会」
「50ISLだ」
「う~ん、20ISL」
「だめだ、40ISLでどうだ」
「じゃあいらない。バスを待つ!30ISLなら乗る」一瞬、間があいた。
900円か、距離を考えると安いか。
でも運転手にとって、郊外から市内へ空車で戻るぐらいなら、という計算が働いたのか「OK」の返事。
運転手は英語もまともに話せないので、なかなか話がかみ合わないが、私が日本から来たということはわかったようである。
15分程度で受胎告知教会の下の広場に到着。
やはり、予想通りの場所であった。
タクシー運転手、「日本」「こんにちは」は教えた
土産物街の道を上っていくと、右手に受胎告知教会の入口があった。
入口をくぐると正面にはモダンなデザインの聖堂、右手には回廊がある。
回廊には、各国の教会から寄贈された聖母子像が展示されている。
それぞれの国の気質が表れていて面白い。
聖堂正面
各国からの聖母子像が飾られている
バチカン
エジプト
中国
ポルトガル、アズレージョが美しい
韓国
タイ
左手にはマリア像がある。
両手は、多くの参拝者が触れたため黒くなっている。
全身を撮っているときは気が付かなかったが、アップを撮るため寄っていくとマリア像と目線が合う角度になった。
「なんて優しい表情なのだ」一瞬手が止まった。
慈悲深い微笑みと言えば良いのだろうか、しばらくファインダー越しに見入っていた。
聖堂に入ると大きな空間が広がっている。
正面の祭壇が、マリアが大天使ガブリエルから受胎告知を受けた場所とされている。
受胎告知は崖の上とも、野原とも、夢の中とも記述はまちまちであるが、ここが公認とされている場所である。
受胎告知は、新約聖書の有名なエピソードの一つであり、古来より多く描かれているモチーフである。
エルサレム、ベツレヘムと同様、ここでも熱心な信者が跪いて祈っている。
私も祭壇に近づき祈った。
教会とは思えない洗練されたデザイン
受胎告知を受けたとされる場所
いつもなら「旅の安全」「家族のこと」を祈るのだが、イスラエルに来てから、いつも「世界平和」を祈っている。
自分らしくないとは思うが、この地を旅していると平和であり安全であることがすべてに優先することである。
平和であるからこそ、旅ができる。
1年前のイスラエルはガザとの紛争で、とても旅ができる状況でなかった。
その時、イスラエルを旅した知人は空港近くでミサイルが爆発したなど命の危険を感じたと言っている。
7年前に旅したシリアは、内戦とISの侵攻で入国そのものがかなわない、そのシリアを脱出した難民が欧州を目指しているが、それぞれの国の対応で軋轢を引き起こしている。
IS、クルド、パレスチナ・・・日本から見ると遠いと感じることも、この地では身近な問題である。
祈る
螺旋階段を2階へ上がると礼拝堂である。
螺旋階段を上がる
周辺の壁には、外と同じように各国から寄贈された聖母子像が掲げられている。
日本からも長谷川路可の作品がある。
いかにも日本的である。日本美人に抱かれている子どもはイエスというより童子だ。
聖堂を出ると、敷地内にマリアの夫、ヨセフを祭った聖ヨセフ教会がある。
ヨセフは大工であったという。
マリアはイエスの実母であったが、ヨセフはイエスの実父ではない。
そのためかどうも影が薄い。
聖ヨセフ教会
やはりこれがあった
教会を出て、次はセントガブリエル教会へ。
受胎告知をしたのが大天使ガブリエルということで、この教会があるのだろうか。
受胎告知教会を出た団体もそちらに向かっているようなので、その後ろをついていった。
路地を抜け
何かと思えば
床屋だった、手前の箱は?
まだ歩く
教会に到着。
正直、ここまで教会巡りをするとありがたみがない。
京都の神社仏閣巡りと同じである。
そうは言いつつも、協会に入り、祈りを捧げた。
教会を出た広場にある軽食スタンドでファラフェルの昼食。
コロッケと野菜をピタパンに詰め込みヨーグルトソースをかけただけものであるが、野菜の味が濃いこともあって不思議と飽きない。
マリア由縁の井戸もあるが、もういいかなという気分である。
イスラエルにきて、旧約聖書や新約聖書に関する遺跡がとても多い。
日本の弘法大師や義経伝説と同じような気がする。
さっきの床屋
バックギャモンで盛り上がっている
ナザレのバスターミナルに向かった。
ガリラヤ湖、夕景へ
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