死海ツアー・・・マサダ遺跡


誰しも小中学生の頃、社会や地理の教科書で、水に浮いて本を読んでいる人の写真を見たことがあるはずである。
標高-413m、世界中で一番低い土地に死海はある。
塩分濃度30%で生物はほとんどいない。
聖書にも塩の湖として記されている。
イスラエルの有数の観光地の一つであるが、日本からだととても遠い。
8時45分、ホテルのロビーで待っていると迎えの車がきた。
ミニバンですでに何人か乗っている。
このまま行くのかと思ったが、ガイドはいない。
このバンはこの後も、あちこちで客を拾い、出発場所に到着したのは10時前であった。
ミニバンを降りると、待っていたガイドのお姉さんがバスに「急げ」と言って一緒に走っていく。
何台かのバスやバンが待機している。
私が参加するツアーは大型バスで、どうやら私が最後だったようである。







ほぼ満席で、最後列しか席が空いていなかった。
最後列まで歩いていくと「こんにちは」と日本語で声がかかった。
声をかけてきたのは、私とほぼ同年輩の黒人であった。
えっ?と思ったら、隣の女性が「こんにちは。日本人ですよね。」と改めて声をかけてきた。
その女性は日本人で、20年間ハワイに住み、この春に2人でドイツに移住してきたとのこと。
ご主人は退役軍人だろうか。
バスは私を乗せたことを確認して出発。

30分ほど走ると、バスは海抜0メートルのところで停車。
荒野の真ん中であるが、土産物屋があり、ラクダに乗る体験の業者が乗客に売り込みにくる。
それだけ車やバスが停まるのであろう。
10分ほどの休憩後、出発。
ここから先は海抜0メートルより低い土地である。























































1時間ほどで死海が見えてきた。
バスは湖岸の道路を走っていく。
外の景色は、飛ぶ鳥も地を走る動物もいなく、ところどころサボテンが生えているだけである。







しばらく走ると坂道を登っていくと死海の塩で化粧品を作っている工場の駐車場で停まった。
ガイドが「製品を購入する方は割引券があります。」とアナウンス。
そうか、ツアーだということを忘れていた。
まだ、旅の序盤であるので、何も買う気はない。
サービスの水を飲んだだけで外に出た。

























このメーカーは高台にあり、死海や湾岸道路が一望できる。
道路沿いにぽつんとバス停があるだけで、殺風景である。
すでにここは海抜-400mである。
風はなく、日差しが強く、そして湿度が高い。









バス停がポツンとある







対岸はヨルダン







荒野の中の一本道






そこから約20分、湖岸道路から1kmほど坂を上がりマサダ遺跡に到着。
バスは施設入口に横付けされた。



















この時、路線バスで来なくて良かったと、しみじみと思った。
路線バスだとバス停が湖岸道路にあり、バスを降りた後、この暑さの中、1kmほどの坂を上らなければならない、これだけで干上がりそうだ。
マサダ遺跡はここからロープウェイで数分である。
ガイドブックには徒歩が上りは徒歩で60分程度かかると記載されているが、この暑さの中、徒歩は現実的ではない。



チケットの表記はケーブルカーとなっているが、
日本人の概念だとロープウェイ




















ブリッジ伝って遺跡へ













バスプール、その前の小さな屋根が路線バスのバス停
施設入り口まで1kmほどある


マサダ遺跡、西暦70年、ユダヤ人はローマ帝国との戦争で、この砦の篭城し、最後まで戦い抜き全滅したのである。
先に書いた、嘆きの壁もこの戦争の後、年に1度しか行くことができなくなったのである。
ローピウェイを降りると広大な遺跡が広がっている。
彼女は順に説明していく。















遺跡全体模型













彼女の説明はとてもわかりやすい
























住居、貯水施設、ローマ風呂、など豊かな生活を送っていたことがわかる。
2,000年前は、ここは肥沃であり農作物を作り、水も確保する手段を持っていたということである。
しかし山の上にこれだけの施設を作ったものである。
彼女はとても丁寧でわかりやすい英語で説明をしてくれるので飽きることがなかったが、ともかく暑い。
山の上とはいえ、海抜-300mである。
昔は緑があったとは信じがたい。





















高度な都市機能をもっていたことがわかる





































支配者の宮殿






聖書でも死海のことは「塩の湖」とかかれており、今と変わらない様子だったと思われる。
ただ、ここから「死海文書」という聖書の最古の写しが発見されている。
その意味では、過去には一般的に人が住んでいたのであろう。









ローマ式サウナ風呂も完備




















2000年前の色が残っている
























1時間程で遺跡の見学を終え、ロープウェイで施設まで降りた。
ここで昼食。私は朝のホテルのブッフェで、パンとハム、チーズでサンドウィッチを作ってきた。
このツアーには昼食がない、たぶん昼食は高いだろうと見越しての自衛策である。









ユダヤ人の町なので当然シナゴークもある







暑くてへばってきた













ロープウェイで下へ
こんなとこ徒歩で登るなんて無理

昼食を食べていると、向かいに例の日本人女性夫妻が座った。
「これだけ(ファラフェル2つと、ポテトとドリンク2つ)で、100ILS(約3,000円)もしたわ」と話してくれた。
街中でも高いのに、こういう施設だともっと高いだろうと思っていたが予想どおりであった。

14時、次は死海へ。



死海ツアー・・・死海

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