エルサレムへ


到着ロビーは真夜中でもひっきりなしに到着便があり、とてもにぎやかである。
その片隅で仮眠をとったが、ほとんど眠れなかった。
5時前、シェルートという乗合タクシーでエルサレムに向かう。
ともかく市内に出て予約しているホテルに荷物を預かってもらうことにする。
ベングリオン空港からエルサレム市内にいく交通手段はこの乗合タクシーか通常のタクシーしかない。
シェルートはエルサレム市内まで64ILS(新シュケル 1ILS=約33円)、約2,112円である。
エルサレム市内まで約45分。



シェルートは10人乗り、乗客が埋まるまで待つことになる






予約していたキャピトル・ホテルの近くで降ろしてもらい、(シェルートは必ずしもホテルの前につけてくれるわけではない)
6時前、ホテルに荷物を預かってもらい、旧市街へ。















予約していたホテル






エルサレム旧市街、一周約4kmの城壁に囲まれている。
その中には、キリスト教の聖墳墓教会(イエス・キリストの墓、十字架に貼り付けられたゴルゴダの丘)、ユダヤ教の嘆きの壁、イスラム教の岩のドームと3つ宗教の聖地が隣り合わせで位置している。



中央が旧市街
旧市街の中の右上:ムスリム地区
左上:キリスト教地区
右下:ユダヤ人地区
左下:アルメニア大地区
と4つに区切られている


そのためエルサレムは昔から紛争の火種となり、1950年のイスラエル建国から4回の中東戦争の結果、今に到っている。
イスラエルはエルサレムを首都と宣言しているが、多くの国はそれを認めず(日本も)、テルアビブに大使館などを置いている。
イスラエルはエジプトやヨルダンとは和平条約を結んでいるが、レバノンやシリア、イランなどとは敵対関係にある。またパレスチナ問題も内包し、常に中東問題の火種ではある。
パレスチナに対してイスラエルは自治区であるため自国の領土としているが、135カ国がパレスチナをパレスチナ国として承認している。
ヨルダン川西岸地区を穏健派ファタハが統治し、ガザ地区を強硬派ハマスが統治し現在は分裂状態となっている。
その強硬派ハマスとイスラエルが衝突したのが1年前である。
今は戦闘状態ではないが、小競り合いは続いている。



パレスチナに食い込むようにエルサレムは位置している

イスラエルVSアラブ諸国連合が中東の図式であったが、アラブの春以降、IS(Isramic State)の台頭によりシリア、イラクは内乱状態。イランはアメリカと和解し国交回復の方向、イエメン、リビア、エジプトも内乱や政情不安定な状況である。
その意味では火種とは言いつつも、イスラエルはパレスチナ問題があるとはいえ、比較的情勢は安定している状況である。
そのためかイスラエルは危険だというイメージが強く日本からの観光客は少ない、一方、3つの宗教の聖地でもあるので、世界各国から観光客が来ているのも事実である。
と、このテキストを書いている8月22日、イスラエル北部、ガリラヤ湖北のゴラン高原にシリアからミサイル数発が打ち込まれ、イスラエル側が報復のミサイルを発射したとのニュースが流れてきた。
話がそれてしまった。

ホテルは旧市街のヘロデ門から5分ほどのところにある。
その門の隣のダマスカス門から旧市街に入る。

6時過ぎということもあり人気(ひとけ)は無い。
一瞬にして3年前に訪れたモロッコのフェズを思い出した。
迷路のような細い道、商店が並んでいることといい、懐かしい気持ちになった。
迷路であるが、ところどころに「聖墳墓教会」「岩のドーム」「嘆きの壁」への行き先表示がある。



























上から
嘆きの壁 ↑
聖墳墓教会 ↑
岩のドーム/アル・アクサ-寺院 ←
ニュー・ゲート →






まずは聖墳墓教会へ。
私が到着した時は教会内で宗派ごとに朝のミサを行っていた。
この教会は、イエスの終焉の地であるためキリスト教にとっては聖地中の聖地である。
そのためローマ・カトリック、ギリシャ正教、シリア正教、アルメニア正教、コプト正教、エチオピア正教と6つの宗派がそれぞれの区域を分割して管理し、その宗派の管理している場所でミサをおこなっている。
ゴルゴダの丘、香油が注がれた場所、イエスの墓など聖書の世界がある。
今回、小説『聖書』(ウォルター・ワンゲリン著 仲村明子訳 徳間文庫 2000年)を持ってきており、ちょうど「新約編」後半のイエスがユダに裏切りにあい十字架にかけられる箇所を読んだ直後のためリアルである。













































イエスの墓







イエスが十字架から降ろされて香油を注がれた石


























聖ヘレナ聖堂







聖ヘレナ聖堂から地下に降りた場所
ここからイエスの墓と十字架の破片が発見されたと言われている








ここは階段を上がったところでゴルゴダの丘の頂上にあたる
イエスが十字架が建てられた場所
座って参拝している人の場所がそうだと言われている



















教会の外でも祈る人達が

イスラエルにはイエスにまつわる教会が他にも多くあり、また、マリアやイエスの周辺にいた人物を祭った教会も多くある。
またダビデなど旧約聖書に登場する人物にまつわる墓や教会も数多くある。
まさに、ここは神がイスラエルの民に与えるとした土地、「約束の地」(創世記、出エジプト記)である。
ミサを執り行っているため、イエスの墓に入ることはできない。また、改めてくることして、次は「嘆きの壁」に向かった。















ここを降りてセキュリティチェックを受け「嘆きの壁」の場内へ


「嘆きの壁」はユダヤ教の聖地である。
ヘロデ大王時代のエルサレム神殿の外壁のうち、現存する部分。神殿はユダヤ教で最も神聖な建物であった。
紀元70年にユダヤ戦争で神殿が破壊され、ユダヤ教徒は、ここに1年に1度だけ参拝が許されたという。
その1年に1度しか参ることのできないユダヤ教徒の思いが、壁に生える草が朝露を落とす時、それはユダヤ人の涙として「嘆きの壁」と名づけられたという。
1967年、第三次中東戦争のちユダヤ教徒は自由にこの壁で祈ることができるようになった。ユダヤ教徒の願いがかなうまで1900年かかったのである。
こちらも早朝から祈る人がいる。
私も帽子をかぶり参拝エリアに入った。
祈る人たちを撮っていたが、午前中は影になるため、午後以降改めて来ることにする。



手前の塀の奥が祈りの場所


































































次に「岩のドーム」、イスラム教徒にとってメッカのカアバ神殿、預言者のモスクの次ぐ第三の聖地であり、嘆きの壁に隣接している。
ここは2014年以降、異教徒は参拝禁止となっている。



左上が「岩のドーム」

中に入ることができなくてもよいので、なんとか近くまで行こうとしたが、途中、警官や信者にことごとく制止され、行くことができず。
戻り途中、聖墳墓教会にもう一度寄った。
ミサが終わっていて、イエスの墓の中に入ることができた。









この奥がイエスの墓(撮影禁止)

ホテルに戻る途中、警官が一般人に職質をしている。
写真には写っていないが、周辺でビデオやカメラで撮影をしている。
警官はそれを遮ろうとはしない。
意味がよくわからない。
トラブルになるので、警官や軍人はできるだけ写真には撮らないようにしたがとても多い、2,3人組んで角々に立っている。
それもマシンガンを肩から下げているので、この国の置かれている状況がよくわかる。
そして女性の警官、軍人もとても多い。










写真の枠外ではビデオやカメラで撮影していた













ホテルのロビーで休憩しようと戻ったら、部屋をくれた。
気の利くフロント女性(写真は撮らせてもらえなかった)に感謝である。
ともかく寝る。


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