ウィーン特急


今日はウィーンに向かう。
朝食は地下の食堂でブッフェスタイルである。
朝食を食べた後、弁当を作りにかかった。
昼間に移動や飲食店がないであろう場所に行くとき作ることが多い。今回の旅でもアウシュビッツ強制収容所やヴェリチカ岩塩抗に行った時に作っていった。
パンにバターを塗り、ハムとチーズを挟みサンドウィッチを作り、ゆで卵(塩も別途包む)とりんご(バナナやオレンジの時もあり)をストックバックに入れて完成。
いつも荷物の中にはストックバックを数枚入れている。
今日の朝食は夫婦で作っており(昨日は女性一人だった)、子供を連れて来て食堂内で遊ばせている。
この時間、朝食の客は私1人だったので、子供の写真を撮らせてもらい、しばらく子供の相手をしていた。












天気もあまり良くないため部屋で荷物整理をして、9時30分過ぎにホテルをチェックアウト。
ホテルを出ようとした時、ブッフェで朝食を作っていた夫婦が私のところに来て、紙ナプキンで包んだものを手渡してくれた。包みを開けるとクッキーが数枚入っていた。
おそらく子供の写真と仕事中に子供の相手をしてくれたことへのお礼であろう。(それしか思いつかないが)ご夫婦はホテルを出るまで見送ってくれた。私は、とても優しい気持ちになった。
プラハの滞在は懐かしさ、街の美しさ、ビールの美味しさ、そして人の優しさでとても気持ちの良い滞在だった。
観光スポットで行っていない場所もあるが、十分満足した滞在であった。








プラハ中央駅。
ウィーン行きインターシティ特急列車は入線していた。



























保存されている旧駅舎のドームがとても美しい






私のコンパートメント(6人)にはすでにチェコ人であろう年配の夫婦が座っていた。
3人だと、ゆっくり座るなと思っていたら出発直前、東洋人が3人入ってきた。
若いカップルと、30代後半ぐらいの女性。
若いカップルの男性が、その女性のキャリーバッグを上にあげると、彼女はお礼を言っていた。
若いカップルは言葉からして韓国人、女性は日本人だとわかった。
彼女は私の正面に座った。
私は、おもわず「こんにちは」と挨拶をした。
彼女は驚いたように「こんにちは」と返してきた。















話をしていくうち、30代ではなく40代で、私より10歳ほど年下だが「バブル」を知っている世代だった。
Kさんは関東在住で、ご主人とお子様は国内を旅していて、彼女は一人旅を楽しんでいるとのこと。
そのバブルのピークの頃は大学生で、それも大阪の大学に在籍していたとのこと。
北新地でのアルバイトや、タクシーの争奪戦、アルバイトカメラマンの臨時収入などの話で盛り上がった。
大学卒業後、関東に戻り就職、結婚されて、近年、お子様の手がかからなくなったため、毎年、夏休みのこの時期に海外旅行をされている。
旅に慣れてしまい、少々のことでは感動しなくなった自分と比較して、Kさんが、プラハでの出来事など楽しそうに話されているのを見ていると、旅を楽しんでいるのがよくわかり、少し羨ましくなった。
バブル時代、旅、家族のことなどビールを飲みながら盛り上がり、楽しい列車の旅だった。
そういえば、日本語での会話は一週間ぶりであった。














定刻にウィーン・マイドリンク駅に到着。
ウィーンビジットという市内交通機関72時間のフリーチケットを購入。
72時間地下鉄、トラム、バスが乗り放題で+ウィーン市内の施設の割引特典がついている。














ウィーンでのホテルは、お互い同じ地区の直線で2キロほどしか離れていないホテルだとわかり、帰国日が同じなこともあり、最後の夜は一緒に呑みましょうと約束して別れた。ウィーンも24年ぶりである。
ウィーンのホテルは立地と料金からアメリカンスタイルにした。
地下鉄シューベデンプラッツ駅から、運河を渡りiPodを頼りに歩いていく、歩くこと数分でAll You Needs Hotel Vienna2に到着。
ビートルズの曲(All you needs love)もじっているのであろう、面白い名称のホテルである。
2ということは1もあるのだろう。



















フロントやロビーは広い。
チェックインを済ませ部屋に入ると、ベッドやクローゼットなど一通り揃っているが、広くてガランとしている。








荷物を置き、「リンク」へ向かう。



ホイリゲを一杯

表紙へ

海外旅行目次へ