プラハの夏


戦車の前に立ちはだかり胸をはだけた男の写真がある。
この写真を見たことがある人は多いはずである。
1968年1月「人間の顔をした社会主義」を標榜した民主化運動、「プラハの春」が始まった。しかし、旧ソ連を始め改革の波が自国に及ぶことを恐れた東欧諸国(ワルシャワ条約機構諸国)は民主化を阻止するため軍事介入を決行。
1968年8月、プラハに侵攻、占拠したのである。これは「チェコ事件」と呼ばれている。
その時の1カットである。(この写真はインターネットからダウンロードしたものである。この写真を見ると1989年の「天安門事件」で戦車の前に一人立ちはだかる青年の写真を思い出す)
そして「プラハの春」は終わったのである。
しかし、民主化への思いは受け継がれ、1989年11月「ビロード革命」によりついに民主化を手にしたのである。
革命後チェコとスロバキアは分離独立したのである。







私とUがプラハに来た時は、ビロード革命が終わりチェコスロバキアが大きく変わろうとしていた時期であった。
あれから24年、店や観光客も多くなったが、この街の美しさは変わらない。








午後からはカレル橋を渡りプラハ城へ。
モルダウ川に架かるこの橋は、14世紀後半に建造されたプラハ最古の橋である。
欄干の両側には聖人像が並んでいる。
私が行った時は、カレル橋はラッシュ状態で、まっすぐに歩くのもままならないほどの人の多さである。













カレル橋では似顔絵描き、土産物屋やストリートミュージシャンが多く集っている。








橋で演奏しているミュージシャンを見ていると、Uがここで歌った「モルダウ川」を思い出した。
橋の中程で、彼はいきなり、回りにも聞こえるような大きな声で「モルダウ川」歌い出した。私は驚いて「Uやめろよ。恥ずかしいやないか。回りも俺たちを見てるやん。」と言って止めようとした。
「なぁ~に、かまへん。モルダウ川に架かる橋の上で「モルダウ川」を歌う、こんな素晴らしいことはあらへん」と続けたのである。
あの時、チップを入れるために帽子でも置いておけばよかったな、と今になって思うのである。



















橋を渡り、プラハ城に向かう坂道を上っていく。














丘の上にそびえるプラハ城は威風堂々とした姿でそびえ立っている。
急な坂を登り切ると、プラハの街が眼下に広がる。



遠くに見える塔はテレビ塔。
社会主義時代に建造されたもの。
赤ちゃんがハイハイしているデザインなんだとか







動かない衛兵がいる門から入るとプラハ城である。
中庭を抜け、聖ビュート大聖堂へ。
14世紀から建造が始まり、最終完成を見たのは20世紀に入ってからのことである。
ケン・フォレットの小説『大聖堂』を具現化したような、ゴシック様式の見事な大聖堂である。
聖堂内も壮麗でああるが、何せ観光客が多いので落ち着いて見ることはできない。









動かない、表情を変えない衛兵































聖堂の全景をいれるのは難しい






城内は広く、他にも行きたい場所があったが、城内ツアーでないと行くことできないなどもあり引き返すことにした。
昨日の夜行列車であまり眠れなかったこともあり、少し休もう。








旅に出ると、写真を撮ることもあり、のんびりするのではなく1日中歩き廻るため、ある時突然にドンと疲れが出てくる。
旅に出て1週間、今日の午後は休憩タイム。

ホテルに戻る途中、多くの人が空を見上げている。
何事かと思い見上げると、なるほど。








夕方、一眠りしたので身体が楽になった。



セグウェイもレンタルしている


















今宵はどこのホスポダで飲もうかなと、ホテルの周辺をうろうろし、何軒か覗きウ・ドヴォック・コチェク("2匹の猫"という意味)という店に入った。
入り口から中を覗いたら、自家製のビール醸造施設があり、客も入っているし、これは良さそうだと思い入った。
ウェイトレス案内されて席に座ると既視感に襲われた「ここ、知っているぞ!?」
どうしてと考え、壁のイラストを見て思い出した。
そうかUと来たんだ。













店は改装されてキレイになっているが、空間の広さと壁の絵を覚えている。
当時はもっと薄暗く、煤けていた。
メニューもそれほど種類がなく、ソーセージのピクルスと黒パンにバターを塗ったのをつまみに黒ビールを飲んだのである。
Uの導きであればロマンチックかもしれないが、そうではないだろう。
旧市街のこのエリアで、古くからのホスポダは限られているし、古くて落ち着いた酒場で飲みたいという私の好みからすると選択肢の上位にくる店である。
でも偶然とはいえUと来た店を再訪でき嬉しくなった。













注文はもちろんソーセージのピクルスと、料理は迷ったあげくウェイトレスに「お勧めはどれ?」と尋ねると「これがいいわよ」ということでそれを注文。
ソーセージのピクルスは見た目から"ウトベネツ"(水死体)と呼ばれるがビールにことのほかよく合う。







お勧めの料理が出てきて「あっ、失敗した」。
昼と同じグヤーシュであった。
英語表記を頼りに注文したので、グヤーシュとは気づかなかったのである。
でも店の雰囲気はいいし、黒ビールをおかわりし、料理も美味しかったので満足であった。
ウェイトレスはとても親切だし。




















午後5時過ぎに店に入ったので、店を出てもまだ6時30分である。
ブラブラと歩き、ホテルの前のオープンカフェで黒ビールを一杯。
空気が乾燥しているのもあるが、ほんとにビールが苦みとコクと香りのバランスがよく、何杯でも飲める。







ウ・ドヴォック・コチェクから飲み出して4杯目となり、カフェのトイレに行った。
便器を見ると、色っぽいお姉さんのカードが。
誰か落としたのかなと思いよく見ると固定してある。
「なるほど、目印ね」と笑ってしまった。
便器に「的」のイラストが書いていることは多いが、これは初めてである。







7時過ぎ、日没を撮るべくモルダウ川へ。
































日没、そして旧市街へ。
































人が少なくなった天文時計の前の道に座り、24年前と同様、買ってきた瓶ビール(ピルスナー・ウルクェル)の栓を抜き一人乾杯!
たまには感傷に浸る旅があってもいいだろう。
Prag wird ein Toast gegeben!




カレル橋にて

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