思い出をたどる


最初、今回の旅はポーランドのみを回る予定だった。
クラクフの後は、南の木造教会群かバルト海の街に向かう予定だった。
予定を立てるべくポーランドの地図を見ていたら、南はチェコとスロバキアであることに気が付いた。
普通に考えれば当たり前なのだが、ポーランドとチェコが国境を接しているとは気が付いていなかった。
私はポーランドの後はチェコ(プラハ)に行き、そして最終はウィーンに出て、そこから帰国するというスケジュールに変更した。
クラクフからプラハへの空路を検索したが経由便ばかりで直行便はないことが判明、そして列車が1本、クラクフからプラハ行きがあった。
それが、私が乗っている列車である。
コンパートメント内が寒かったこともあり、あまり眠ることができなかった。
それに天気も良くない。

朝8時、プラハ、プラハ本駅に到着。
24年前と同じくホームには半円形の屋根がかかっている。
あの日は、西ベルリンから夜行で、同じように朝にこの駅に到着したのである。
ホームからの風景は変わっていない。







ホームから駅舎に入ると昔のイメージとはまったく異なっていた。
まず、明後日のウィーン行きの列車のチケットを購入。
そしてホテルに向かおうとタクシー乗り場に向かった。







タクシーに予約しているホテルを告げると「750Kc(=3,700円)」と言ってきた。
アホか、たかが地下鉄2駅程度の距離でこんなにふっかけてくるか。
「Nothank you」と言い駅舎に戻ろうととしたら、料金表を見せてきた。
料金表がどうのこうではなく、いかにもふっかけてやるという態度が嫌だった。
最終400Kcと言ってきたが(これでもふっかけてきている)、断り、地下鉄に向かった。
ホテルは街中の込み入った場所にあるため、歩いて探すと面倒そうなのでタクシーにしようと思ったがやめた。







90分有効のチケット(32Kc)を買い、長いエスカレーターを降りてホームへ。
1駅乗って乗り換え、また1駅。
Mustek駅で下車。
地上に出てiPadの地図を頼りに歩く、約15分でホテルに到着。













ベトレム・クラブというホテルである。
ちなみに今回のホテルは、すべてエクスペディアを通じて予約をしている。
まだ9時30分前にもかかわらず、部屋をくれた。
ありがたい荷物が置ける。
部屋は最上階の屋根裏部屋。
これは面白い。
でも注意しないと梁に頭をぶつけそうだ。(滞在中、なんどか頭をぶつけた)







ホテルを出て西に向かうと数分でモルダウ川にでた。
天候は回復し、晴天となった。
遠くにプラハ城が見えている。



おっ、オールドベンツと思ったら観光用だった






























引き返して10分ほど歩くと旧市街広場に到着。
そして天文時計があった。
「そうだ、この時計だよな」



















1990年夏、私は友人のUと東欧を旅していた。
UはMBA取得のためボストン大学に留学中だった。
彼はアメリカから、私は日本から飛びフランクフルトで待ち合わせをし、東西ベルリンを周りチェコスロバキアに来たのである。
当時、ベルリンの壁が崩壊し東側の体制も末期だった。













それでもチェコ・スロバキアに入国するためにはVISAが必要で、強制両替という制度も残っていた。
強制両替というのは、チェコ・スロバキアに滞在する日程分、USドルや西ドイツマルクを強制的に両替させられる制度である。例えば1日なら20USドルをチェコスロバキアの通貨コルナに両替しなくてはならなく。当時、東側の通貨はその国を出ると紙くずだった。それにホテルの宿泊代や列車のチケットなどはUSドルか西ドイツマルクなど西側の通貨でしか買えなかった。
チェコ・コルナなんて飲食店ぐらいしか使い道が無かった。














プラハでの滞在も終わり(詳しくはこちらへ→ベルリンの壁と湾岸戦争<後編>)Uと私はウィーン行きの夜行列車の出発時刻までどうしようかと話していた。
手元には使い切れなかったコルナ紙幣がいっぱい(笑)
当時はカフェなど全く無く、天文時計がある広場もひとけがなかった。
そこで手持ちのコルナで雑貨屋に行き瓶ビールを買えるだけ買い、時計の前で飲み始めである。
とても暑い夜だった。







「ここで飲んでいれば時間がわかるので、列車に乗り遅れることもないやろう!」という理由で他のツーリストも巻き込んで飲んでいた。
後年、Uと飲むたびに「プラハの夜のビールは美味かったよな。また、いつか一緒にあそこで呑もう」と言って盛り上がっていた。
Uは海外駐在や出張などを繰り返していたがチェコには行かず、私もその後、何度もヨーロッパに行っているが結局行かずじまいだったのである。
いつもで行けるという感覚だったので、一緒に行く約束をすることがなかった。
そして3年半前、Uは癌で逝ってしまった。



火薬塔






今回、プラハ行きへと予定を変更したのは、Uとの約束を果たすためである。
10時過ぎの旧市街広場にはすでに多くの観光客で溢れている。
天文時計は毎時00分になると、死神のトランペットと共に、上の両窓が開き12使徒が交互に現れる。
24年前も、もっと観光客は少なかったけど同じように見ていたな。
火薬塔などを回り11時ちょうどに天文時計が動き出した。



すごい数の人が集まっている、24年前はこれほどの人はいなかった













12使徒が順に現れる






チェコは一人当たりのビールの消費量が世界で一番多いというビール大国である。
ピルスナー・ウルクェル(世界で一番最初にピルスナービールを造ったメーカー)やブドヴァル(Budver=英語ではBueweiser、アメリカの最大手バドワイザー社が、このメーカーの商標権を手に入れようと訴訟を起こしたがバドワイザー社の敗訴で決着)などのメーカーから自家醸造まで、ビール飲みには天国みたいなところである。
私は一軒のホスポダ(ビヤホール)に入った。
まだ開店した直後で客は少ない。
店に入り、ピルスナービールとグヤーシュを注文し、トイレに行った。
トイレの中にはコンドームの自販機が置いてあった。
イギリスやドイツでもトイレでこの自販機があるが、久しぶりに見て、ヨーロッパだなぁと笑ってしまった。




















ビールはブドヴァルの生、一口、幸せ♪
2杯目はダークビール(黒ビール)、Uとホスポダでも何杯もダークビールを飲んだなぁ。













Uよ、約束を果たしたぞ。
でも、おまえと一緒に飲みたかった!




プラハの夏

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