クラクフへ


クラクフへのフライトは10時40分。
空港行きの電車は30分ごとにワルシャワ中央駅を発車する。














ショッピングモールの屋根



















昨日、このビルを5人の屋上から命綱一本でぶら下がり窓ふきをしていた

9時10分の空港行き電車に乗るべくホテルをチェックアウト。



照れてうつむいてしまった

















空港までのチケットを買い(5.5plz)、4番ホームで電車を待っていたが、来ない?
「何で?ホーム変更の表示もアナウンスもない??」
時間は9時15分を過ぎて、ホームの表示も次の列車に変更になっている。
列車案内も「遅れ」ではなく、画面から消えている。
次の電車は9時40分、空港到着は10時頃である。
それにしようかなと思ったが、次の電車乗りそびれたら飛行機に乗り遅れるし、日本の国内線なら30分前に空港に着いたら充分間に合うが、日本ほどシステマティックではなさそうだ。それに手荷物を預けなければならない。



9時10分の電車に乗るはずが













このホームはたまたま写真を撮っただけ、空港行きは隣の隣の4番ホームから出発の予定だった

駅の外に出てタクシーを拾った。
「エアポートまで!」
空港までは約10km、ドライバーに時間と料金を尋ねると30分程度で30plzと返事が返ってきた。
9時50分頃には着くだろう。
結局、空港に着いたのは9時40分、料金は27plzだった。
































案の定、チェックインや手荷物検査に時間がかかり搭乗ゲートに着いたのは10時過ぎだった。
このチケットは、2ヶ月前に「skyscaner」で検索し、英国のe-bookersが27ポンド(約4,700円)で売り出していたポーランド航空の格安チケットである。
これだけ安いとANAと同じスターアライアンス加盟航空会社だがマイルは積算されない。
1時間15分で、ヨハネ・パウロ2世・クラクフ・パリツェ国際空港に着陸した。

ヨハネ・パウロ2世・・・現フランシスコ法王の2代前のローマ法王である。(在位1978年~2005年)
ヨハネ・パウロ2世は、在職当時、ポーランドのワレサ議長が率いる「連帯」の民主化運動を支持した。結果「連帯」が政権を握り、民主化へと舵を切った。このことにより周辺の東側諸国が相次ぎ民主化を成し遂げ、最終、ベルリンの壁の崩壊へと繋がった。
それまでのバチカンは政治に不介入であったが、ヨハネ・パウロ2世は世界平和と戦争反対をとなえ世界全体に大きな影響を与えた人物である。
そして、母国ポーランドの民主化の精神的支えとなったのである。
その法王の出身地、クラクフに到着。
国内線第2ターミナルまで歩いて建物の中に入ると、機内預けの荷物を運ぶベルトがあり、そのすぐ先はゲートととても小さい。
ところが、その荷物がなかなか出てこない。
100人も乗っていないし、機体とここの距離も100m程度しかない。
20分ぐらい待ち、やっと荷物が出てきた。

さて、ここから市内までどう出るかである。
電車は空港改修工事のため、完成するまで運行がない(2015年完成予定)。
となるとバス、市内に向かうバスはT1から出発である。
T2からT1へは無料のシャトルバスがあるが、30分に1本程度である。
クラクフのホテルは旧市街に近いが、駅からはトラムを使わなければならない。
乗らなければならないトラムの番号はわかっているが、どの駅で降りるのかはわからない。
30分待ってターミナルを移動して、そこから市内行きのバス、クラクフ駅についてからトラムに乗り換え、そこから地図とiPadを頼りにホテルまで・・・おそらく2時間はかかるであろう。
どうしようかとターミナルを出たら、客待ちのタクシーの運転手に声をかけられた。
「タクシーか?」
私はホテル予約のプリントアウトを彼に見せた。
「HOTEL SPATZ」
旧市街の近くのホテルである。
彼はホテル名と所在地を確認すると「89plz」と言った。
89plzか中途半端な金額だが、その中途半端な額がボルのではないなというのがわかった。
約3,000円、高いと思ったが、市内までは約20km、乗り換えの手間の面倒さや、もう昼であり空腹でもある。
そのタクシーで市内に出ることにした。
ちゃんとメーターを倒して走り始めた、約30分、ホテルに到着。
メーターは93plzを示していた。私はメーターだから仕方がないなと100plzを渡した。
彼はメーターをリセットし、11plzのおつりを私に返してきた。
「89plzの約束だから」
私はとても嬉しくなり、差額の4plzをチップとして渡した。

でもタクシーにして良かった、見た目はとても小さな建物ですぐには、ホテルとはわからないし、込み入った場所にある。トラムで来ていたら間違いなく迷っていただろう。
後に便利な場所にあることを知るのだが、それは位置関係がわかってからのことである。
ホテルのレセプションはとても小さく、表にはAPARTHOTELと表記されている。
まだ12時30分。
レセプションの女性「チェックインは2時なので、もう少し待ってね。それまでに観光をしてきたら。荷物は預かるし。」と、カウンターに置いてある地図にてホテルの場所に○印をつけ、ヴァヴェル城を囲み「ここまで5分」次に、旧市街の中心部に○印をつけ「ここまでは20分ね」と癖のない英語で説明してくれた。
とても美しい人で、後で写真を撮らせてもらおうと思っていたが、その日の夕方以降、チェックアウトまで会うことができなかった(残念)
たまたま階段の途中からレセプションを撮った写真が1枚あるだけである。


さて、地図を頼りに歩き始めたが5分歩いても10分歩いてもヴァヴェル城は見えてこない、挙げ句の果てに川の畔に出てしまった。
コンパスを出し、地図をよく確認すると、まったく見当違いの方向に歩いていることがわかった。
私は時々、こんな見当違いの方向に行ってしまうことがある。
方向音痴というわけではないのだが、思い込みで歩いて間違えるのである。













「まったく何をしているんだ」と自分に対して、とてもいらだっていた。
とりあえずホテルに戻りリスタートしよう。
それに空腹である。そういう時に限り、食事ができる店がない。
結局、ホテルの近くの中華料理店に飛び込んだ。
ホテルを超えて反対方向に行くと、飲食店や軽食のスタンドがいっぱいあることを後で知るのである。
炒飯とビールを注文。
出てきた炒飯は、2人前もあるかという量、でも、インディカ米のためパラパラで油が軽く、味が良かったので結構食べることができた。

お腹が落ち着くと、思考がまともになった。
昨日の「データの誤消去」「夜が寒かったうえ、びしょ濡れになった」、今朝の「空港行きの電車がなぜか来なかった」そんな些細なことと空腹が重なり1人いらだっていたのである。
さて、仕切り直し。



旧市街、そして日本との繋がり

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