ワルシャワ到着


空港から鉄道で約20分、10時30分過ぎにワルシャワ中央駅に到着。
空港とワルシャワ中央駅を結ぶ電車は最先端のデザインである。
もっと、やぼったいデザインをイメージしていたのだが意外である。



空港から徒歩5分で鉄道駅へ












空港到着時は曇っていたが、天気は快晴、30度以上の関西から、20度を超えた程度である。
空気も乾燥しているので気持ちがいい。



中央の建物が「文化科学宮殿」







途中でテレビのインタビュー、カートを引きずって歩いていたが条件反射でシャッターを切る












ワルシャワのホテル、駅から近い三つ星ホテル・グロマダを予約していた。
最近はエクスペディアを使い、一人旅の場合は1泊5,000円~7,000円程度の三つ星ホテルで、足の便の良い場所という条件でホテルを予約している。
iPadでホテルを登録していたので、MAPをたどって歩くと10分程度でホテルに着いてしまった。
地図とコンパス、人に聞きながらというアナログな手段のほうが好きだが、見知らぬ土地ではとても便利である。







まだ午前中なので、荷物を預かってもらおうと思っていたら、そのままチェックインをして部屋をもらうことができた。
一息ついて昼食へ。

ヨーロッパに飛ぶと、日本との時差が7~8時間。
機内の食事も出発時は日本時間、最後は現地時間とサイクルは変わるし、11時過ぎということは、日本は18時過ぎ、まだ夕食には早い時間でもある。
フランクフルト-ワルシャワ間も軽食がでたため、空腹なのか満腹なのか中途半端な感覚である。
私は時差ボケに弱いので、無理にでも現地時間に合わせないと、3、4日引きずってしまう。







ホテルの近くのカフェに入る。
どうやら人気店らしく、多くの人が食事をしている。
サンドウィッチと黒ビールを注文した。(サンドウィッチは大きいうえ、フライドポテトやサラダまでついてきたので持て余してしまった。)




















私のポーランドのイメージは、ショパン、キュリー夫人、コペルニクス、ヨハネ・パウロ2世、ワレサ議長。第二次世界大戦中はカチンの森事件、アウシュビッツ強制収容所。東側の時代は西側のNATO(北大西洋条約機構)に対するワルシャワ条約機構、1956年の反ソビエトの暴動、連帯など政治のイメージの強い国である。
それと琥珀(アンバー)である。


駅を出て真っ先に見えた、文化科学宮殿が街のランドマークであり、スターリンの時代に建設された、いかにも東側時代の遺産の建物以外は街全体が垢抜けた感じである。
駅から乗った電車もそうだったが、もっとやぼったい雰囲気かと思っていたが、そうでもなさそうである。


旧市街に向かう。
ホテルから徒歩10分程度である。
クラクフ郊外通りに出ると、多くの観光客が旧市街広場に向かって歩いている。

まず、聖十字架教会に入り、今回の旅の無事を祈る、その教会の柱の1本にショパンの心臓が埋められている。





















この柱にショパンの心臓が埋められている












その前にはコペルニクス像。
ワルシャワ大学の女子学生が友達どうしで記念撮影をしていた。
どこの国でも若い女性は美しいが、ワルシャワに着いて2時間あまり、美しい人が多いなというイメージである。
なぜ、彼女たちがワルシャワ大学の学生かわかったかというと、撮影のあと、近くの大学の正門からキャンパスに入っていたためである。













もう少し歩こうと思ったが、移動の疲れがドッときたため、一旦、ホテルに戻り休息をとることにした。
午後7時過ぎ、日本時間だと午前2時、とっくに寝ている時間である。
休んだので身体は楽になったが、一方で睡眠を要求しているという半端な状態で食事へ。
旧市街の広場のビストロで冷たいボルシチとタルタルステーキを注文。





















カメラを向けると「しかたがないわねぇ~」という感じの笑顔







こちらはストレートで












8時過ぎ日没。
しかし寒い、おそらく10度ぐらいであろう。
ビストロではブランケットを貸し出している。
今回行く国の気候のことは頭に入れていたが、暑い日本のイメージを引きずってきたため、長袖のシャツは持ってきているが、その上に着る服は持ってきていない。
この先、このことで寒い思いをすることになる。















琥珀はポーランドの名産













王宮広場







ワルシャワ大学正門
























今日はこれぐらいにして、明日から街を歩くことにしよう。



データが消えた!

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