メディアを歩く


朝食後、フェズのメディナ(旧市街)を本格的に歩く。
フェズのメディアは9世紀に形作られ、1000年経っても、ほとんど変わっていない。
正式名称はフェズ エル バリである。





































街を上から見ると、城壁に囲まれたなかに、メイン道路がブー・ジュールド門を起点に2本が眼の形のよう走り東の端で合流し、その2本の道路からから毛細血管のように細い道が張り巡らされている。
メイン道路も幅、わずか2~3mであり、階段もあるので、旧市街には車は入れない、主な輸送手段は馬、ロバそして人力である。


























ホテルを出てメイン道路を東、つまりブー・ジュルード門から反対のほうに向かった。
目的地は反対側にある革の染色職人街である。








幅の狭い道を人が行きかい、馬やロバが荷物を運んでいく。







しばらく歩くとサファリーン広場に出た。































金物屋が多く並び、観光客もガイドに案内されてきている。
ここらあたりから革染色職人街(タンネリ)に案内しようとする輩が多くなってくる。
なかには勝手に私の前を歩き、あちこち説明して小金をせびろうとする。
メインストリートからはずれ細い道を上っていくとモスクがあった。
モスクはメディナの中にもいくつもあるが異教徒は入れない。
その横を抜けていくと靴屋ばかりの場所に出た。
男どもは大きな鞄に靴を詰め込んで運んでいく。
細い路地に入り込んでしまい方向がわからなくなったり同じ道を行ったり来たりしていた。それはそれで楽しいものである。



















カラウィン・モスクまでたどり着き、さてタンネリに向かおうとしたが、歩き方に書いてるルートをたどろうとしたが、狭い路地で方向がわからなくなってしまい、なかなかたどり着けない。
そうこうしているうちに案内するという輩が集まってきた。







拒否するのではなく一人に案内してもらえば、あとは寄ってこないはずである。
その中に一人の少女に声をかけた。
「タンネリまで案内してほしい」と言うと、微笑んで「イエス!」と返事が返ってきた。彼女の後をついていくと、一軒の革製品の店に入っていった。







私が躊躇していると、彼女は「2階よ!」と言って階段を上がっていった。
2階には彼女のお父さんであろう店主がいて、「タンネリはあちらだ」と店の屋上に案内してくれた。
なるほどここなら一望できる。







臭いがきついと聞いていたが、ここまで臭ってはこない。
ただ、そうとう厳しい仕事であることは覗うことができる。







染めた革は屋上に並べて乾燥させている。













撮影を終えて店に戻ると、店主の売り込み攻勢にあったが、やんわりと断り、彼女に多めのチップを渡すと納得したようである。
ついでに彼女の写真を撮らせてもらった。
チップは案内料の他にモデル代でもある。














帰り道はわからないので、彼女にサファリーン広場まで連れて行ってもらった。
その間にも彼女の姉ともすれ違い、あちこちの店から声がかかっていた。
人気者だ。
広場に着くと手を振って去っていった。



























水飲み場の美しいモザイク







ネコは狭いところが好きである
























ブー・ジュルード門に向かってあるいていると、朝、通った市場に着いた。
鶏屋は肉屋の前にはネコが解体した部位を食べている。
取り合いしているネコ、待っているネコ・・・なかなか面白い。










朝通った鶏屋のカウンターでは













その前では







こちらは肉屋







こちらでもおこぼれを待つネコが






そして門を出てバスターミナルへ。
近いのがありがたい。
そこでサハラ砂漠の入り口のエルフード行きのバスの時間を確認。
20時30分である。
明日のチケットを買おうとしたが、窓口には誰もいない。
しかたがないので引き上げることにした。

























もう少し待てば良かったのだが、朝食後から一滴の水も飲んでいないので喉が渇き、ここなら旅行者として水が飲めると、そちらに気がいってしまったのである。







































これはコーランの一節を石版に彫っている店

おそらく体感温度は40度近くあるであろう。



リヤドと旧ユダヤ人居留区

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