アグラへ


朝5時、チャンデル氏は私をニュー・デリー駅に送るために早朝出勤。
仕事のあるK君も起こすことになり、申し訳ない。

この時間だと渋滞に巻き込まれることもなく約30分でニュー・デリー駅に到着。
彼は、私がちゃんと列車に乗れるかどうか改札まで一緒に着いてきてくれた。駅の表示を確認して1番ホームから出発することを確認。
手荷物検査の後、1番ホームに行こうとすると、彼がが「Mr ogawa、2番ホームだ。」と叫んでいる。
1番ホームの表示と切符を付き合わせたが列車番号、出発時刻は同じである。
なぜ彼がそのようなことを言うのかわからないが、彼の言うことを聞くふりをして「わかった。ありがとう。」と手を振って彼の視界から外れるように移動した。

雨が静かに降っている。
1番ホームの切符に記載されている車両番号のところで待っていると「タージ・エクスプレス」が入線してきた。



駅の中にモスクが


















一等車でデリー-アグラが700ルピー(約1,400円)。
昨日切符を買うときには400ルピーのコンパートメントは既に売り切れで、一等車しか残っていなかった。
乗っている層は観光客とビジネスマンや裕福な層の客である。







出発するとすぐにミネラル・ウォーターが配られた。その次は新聞。
飛行機の機内食配膳のカートと同じものでトレイが配られ、その上にはクラッカー、飴、コーヒーカップそしてバラが一輪載っている。
そしてコーヒーか紅茶のサービス。
それを食べ終わる頃に、トーストとシリアルが配られミルクを器に注いでいく。
「ベジタリアン?ノン・ベジタリアン?」と聞かれ「ノン・ベジ」と答えると、しばらくして暖かいオムレツが配られた。
最後に口直しのミントが配られ10ルピーのチップを渡した。
この朝食も列車代に含まれている。































外も明るくなり陽が差してきた、どうやら雨は上がったようだ。







8時30分、定刻通りアグラ駅に到着。



















アグラ駅を出ると駅前はリキシャとオートリキシャで埋まっている。
ここからタージ・マハルまでは約10km。
観光客をわんさと乗せた列車の到着は、彼らにとって一日のうちで数少ない稼ぎ時である。








私も駅を出ると数人に取り囲まれ「タージ・マハルまで50ルピーでどうだ。」と強引に引っ張られそうになる。
結局、オートリキシャでなくリキシャを選び40ルピーで決着。
リキシャを選んだ理由は、ゆっくり街を見ながら行きたかっただけである。





















リキシャの運転手

約30分でタージ・マハールの西門に到着。
ここからチケット売場まで約1km。







リキシャはここまで、ここからはラクダの馬車か電動カートに乗ることになるのだが、たかだか1kmだし歩くことにした。
それに歩かないと写真が撮れない。
客引きは「チケット売場まで遠いぞ!」と言って袖を引っ張るが振り払って無言で無視。
雨上がりで濃い緑の香りがただよう道を歩く、猿をあちこちで見かける。
人に悪さをしかけてくるようなことはなさそうだ。


















約15分でチケット売場に到着。
入場料750ルピー、うち500ルピーはインド考古学局に対しての支払いである。
インド人は50ルピーと格差を設けてある。







チケットを買って入り口に向かうと自称ガイドが何人も寄ってくる。
すべてお断り。
入場ゲートの手荷物チェックはとても厳しく、タバコを吸うか吸わないかと尋ねられ鞄を開けて荷物をチェックされ列車でもらった読みかけの新聞など没収されてしまった。













しばらく歩くと赤砂岩で造られた門の前の広場に到着。
装飾がとても美しい。
アラビア文字でコーランの一節が書かれているが、これは上に行くほど大きく、下から見上げても全ての文字が同じ大きさに見えるように刻まれている。

























その門をくぐると正面にタージ・マハルが。
思わず出た言葉が「美しい・・・」。
しばらく立ち止まって動けなかった。
今まで様々な国を旅して「美しい」と言われている建造物はいくつも見たが、これほど美しい建造物は初めてである。













タージ・マハル。
17世紀、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハンの后ムムターズ・マハルの墓として22年の歳月をかけて国力を注いで建造されたものである。
一説によると、シャー・ジャハン自身の墓をヤムナ-河の対岸に黒大理石で建造し橋で架けて繋ぐという計画もあったという。
しかし、国力を注いで造ったため本当に国が傾いてしまい、シャー・ジャハンは息子に幽閉され寂しく亡くなったのである。
黒いタージ・マハルは幻と終わったが、白いタージ・マハルは400年経った今でもその美しさで世界中から観光客を集めている。













私は角度を変えながら撮っていたが、ファイダー越しに見ると、この建物がいかに精緻に設計され造られたかがよく分かる。
完璧なシンメトリー構造、ドームの形、四隅のミナレットの配置、刻まれた文字の大きさ、どこを切り取ってもバランスが崩れない。
シャッターを切りながら「これは、すごい」と唸っていた。














舞台芸術家の妹尾河童氏は、著書の『カッパが覗いたインド』において「中央のドームの屋根はやや縦長に設計されていて、地面から見上げた時にバランス良く見えるようになっている。」と舞台芸術に携わっている人らしい鋭い視点で感想を述べている。
実物を目の前にすると河童氏の言葉に同意して頷くだけである。













夢中になって写真を撮っていると、雲が切れてタージ・マハルが白く輝きだした。
「うわぁ、すげえ。」とボキャブラリーの貧困さがもろに出た言葉しか出てこない。





































あわてて門の方に引き返し撮影をやり直し、そのうち青空が広がってきた。
さらに輝きを増していく。
おおよそ30分程度、この時間だけ青空が広がりタージ・マハルが輝いていた。
写真の神様ありがとう。











































サンダルを脱ぎ、大理石の感触を足の裏で感じながら、堂内へ。
贅の限りをつくして美しい装飾で飾られている。





































そして裏に出るとヤムナ-河が流れている、この対岸に黒いタージ・マハルを造ろうしたのか。
そこには広大な森がひろがっている。
入場してからすでに3時間。
「人の生活が感じられない建造物なんてすぐ飽きてしまう。」と普段から言っている私が3時間飽きずに眺めてシャッターを切り続けたのである。









黒いタージ・マハル建設予定地















































































そして再び雲に覆われた。
私は満足してタージ・マハルを後にした。
南門から出ると、朝の西門と違い、街と直結していた。
土産物屋が並び賑わっている。















































































昼ゴハンを食べるべく、一軒のレストランに入ると暗く空調も止めてある、客は誰もいない。
一瞬「しまった!」と思ったが、移動も面倒なので空いている席に座ると、その席の上のフライファンを回し、電気をつけてくれた。
チキン・ビリヤーニとチャイを注文。













平均的な味だったが、空腹ということもあり満足した。
午後からはアグラ城へ。



鉄道かバスか

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