地雷を踏んだらサヨウナラ


地雷を踏んだらサヨウナラ」(講談社文庫)という本がある。
著者は一之瀬泰造。
奥付けは昭和60年3月15日第1版発行。

ベトナム戦争、カンボディア内戦を撮影した写真と両親、友人や知人との書簡で構成されている。
この旅行記を読んでいる方々で、一之瀬泰造というカメラマンを知っている人はどのくらいいるのだろう。
彼は1972年代からベトナム、カンボディアのインドシナ紛争を撮っていたフリーランスのカメラマンである。
だが、彼も多くのフリーランスのカメラマンと同様、通信社や新聞社に撮影したフィルムを切り売りする生活で、何度も負傷しながらも、激戦区に入り写真を撮り多くのスクープをモノにしていった。

彼は、解放軍(クメール・ルージュ)に占領されているアンコール・ワットを西側のカメラマンとして初めて撮影するというスクープを狙うべくシェムリアップ村に滞在してチャンスを狙っていた。
そして1973年11月19日、友人に「旨く(アンコール・ワットが)撮れたら東京まで(フィルムを)持っていきます。もし、うまく地雷を踏んだらサヨウナラ!」と手紙を送った後、アンコール・ワットに向かい消息を絶つ。
*( )は私の補足、「旨く」は原文のママ

その後、「解放軍に処刑された」「解放軍側で撮影をしている」など噂が流れるが、1982年2月、アンコール・ワット東方10kmに位置するプラダック村にて、ご両親により遺体が確認された。
カメラマンとしての活躍期間わずか2年、享年26歳であった。
しかし、同時代を語る時、いまだもって人に口に上るカメラマンの一人である。
その生涯は1999年の「地雷を踏んだらサヨウナラ」(浅野忠信主演・五十嵐匠監督)で映画化され、また2010年にはドキュメンタリー映画「TAIZO~戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の真実~」(中嶋多圭子監督)が制作、公開されている。







私は、一ノ瀬泰造に関連することがシェムリアップに残っていないか関心があった。
彼の墓が郊外にあるのは知っていたが、彼がこの地に残しているものは無いのか調べていると、地球の歩き方「アンコール・ワットとカンボジア」編にガイドブックのレストラン紹介に以下のような文章があった。







「バンテアイ・スレイ」
~シェムリアップでは老舗のカンボディア料理店。日本人の間では、内線時代に日本人の有名カメラマンが通った店として知られ、彼が好んで注文した約20種類のメニュー(3~5US$)が人気。~
との記述があった。
「ここは、一ノ瀬泰造が通った店だ。」
シェムリアップ滞在中、彼が気にいって通ったカンボディア料理店があり、友人のロックルーと共に、昼メシ、オヤツ、晩メシを月3,000円程度で契約してかよい続けた店のことだろう。
幸いにも国道6号線沿いで、ホテルから徒歩10分程度であることがわかった。
バイクタクシーの兄ちゃんの紹介の店より、私にとっては大事な店である。

19時頃、「バンテアイ・スレイ」に行った。
想像していたより大きな店で、先客は1組だけである。
オープンエアの造りで、風がとおり気持ちが良い。

横を見るとエアコン・ルームがある。
その奧には一ノ瀬泰造の写真など関連する資料が展示してある。
外から写真を見て「おおっ」っと、意味もなくうろたえる。

それらを見るのはゴハンを食べてからでしょう。
私が立ちつくす姿を見て従業員が「エアコン・ルームに移動しますか?」と勧めてくれたが、外の空気を感じながら食べたかった。
40年前にはエアコンはなかったはずだし。

メニューをめくっていくと最後のページに「TAIZOさんが好きだった料理です」というタイプがある。
「うう、これは・・・」
ここから選ぶしかないでしょう。

川魚のフライと鶏の出汁のスープを注文。
ビールは当然、アンコール。
この店は、当時、紛争で夫を失った未亡人が経営していた店で、一ノ瀬泰造が前述のとおり大変、世話になった店であり。
その後も、一ノ瀬のご両親など関係が続き今に至っている。
出てきた料理はたいへん美味しく満足であった。
生ハーブを多様しているのはベトナム料理に近いものがある。



















食後エアコン・ルームに入る。













彼の経歴、「TAIZO」の映画関連のポップ、ご両親の手記そして写真。

この幕の写真のひしゃげたNikonFは彼が戦場で被弾し、盾となって彼を守ったカメラである。
鉄の塊のNikonFだったからこそ彼を守ることができた。
今のプラスティックの一眼レフでは弾丸を貫通してしまうだろう。
このカメラの実物は、現在、ベトナムのサイゴンにある「戦争証跡博物館」に展示されている。

そして40年前の関係を、子供、孫まで伝えていることに敬服します・・・まったく。
もう泣きそう。

インドシナ紛争で命と引き替えにシャッターを切り続けたカメラマンには、有名になりたいという動機などあっただろうけど、その仕事に対して無条件に尊敬する。
たいへん満足した食事だったが、ちょっとセンチメンタルな気分になり店を出る。
シェムリアップにはあと2泊する予定。
もう1回この店に行こう。



陽気で気の利く従業員の皆さん























20時30分頃、他に行く予定も無いのでマッサージへ。







ホテルの向かいにはマッサージ店が軒を並べて客引きをしている。
面白いのは、どの店もドクター・フィッシュの水槽を並べてアピールしている。
そして均一料金。



黄色のポロシャツのマッサージ店のお茶目なお姉さん







私の鋼の背中を揉みほぐしてくれたお姉さん







従業員のお嬢さん・・・だと思う







同じく赤のポロシャツのマッサージ店のお姉さんたち


今日はそれは遠慮して、1時間のマッサージを5$でお願いする。
黄色のポロシャツの店でははく、赤いポロシャツの店にした。
マッサージのお姉さんはタイマッサージ・スタイルで、鋼鉄の堅さの背中と腰を揉みほぐしてくれた。



















明日は、いよいよアンコール遺跡群へ。


アンコール・サンライズ

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