紀元79年8月24日
朝、カーテンを開けると窓に水滴がついている。
屋根も濡れている。
昨日夕方のパラパラの雨とちがい、本降りである。
朝食を食べていると、ますます雨足が強くなってきた。
夕立のような降り方である。
外を見ながら「カプリ島は明日にして、今日はポンペイにしよう。」と予定を変更した。
雨に降られると想定していなかったので、傘を持ってきていない。
駅まで行けば売っているだろうと見当をつけて、屋根で雨を避けながら駅に行くと、何人もの黒人やアラブ人が傘を売っていた。
折りたたみ傘を5ユーロで購入。
日本の100円ショップで売っている品物と変わらないが、文句は言うまい、持ってきていない私が悪いのだから。
昨日も乗ったヴェスーヴィオ周遊鉄道でポンペイへ。
約40分でポンペイ・スカーヴィ・ビッラ・アラ・ミステリ駅に到着、100mほど歩いて遺跡入り口へ。
雨は小やみになったが、開場前のまだ9時前という時間にもかかわらず、多くの観光客が切符売り場に並んでいる。
ポンペイ・・・紀元79年8月24日、ヴェスーヴィオ火山の噴火により、この街は火砕流に飲み込まれ、すべての時が止まってしまった。
街を埋めた火砕流が、皮肉にも当時の建物を湿度と酸化から守り、また人々や動物を石膏でかたどったように人型を残すことになった。
18世紀に発掘が開始され、それが今、私たちに遺産として残されている。
世界史の教科書にも記載されている程、歴史上の大きな事件の一つである。
入場券を買って場内へ、ローマ遺跡がどんと広がっている。
「おお、これは凄い、よくここまで保存されているな。当時の人々の生活がよくわかるぞ。」なんて言う気持ちは、これっぽちもわかなく、私の目には単なる廃墟が広がっているだけである。
いままでも何度も書いていることだが、私は、人の生活が感じられる今の街が好きなのであって、過去の遺跡に思いをはせることは関心がない。
したがって、その場所に行ったということで満足してしまう。
ところが、世界史が好きなので、遺跡には関心は無いけど、事件のあった場所や遺産などは見てみたいという、矛盾した行動を取るのである。
中心であったであろうアポロ神殿のあるフォロ(中心広場)に出る。
「ああ、ここか。ポンペイの遺跡とヴェスーヴィオ火山との組み合わせの写真を撮っているポイントは。」
雨は降ったりやんだりでハッキリしない天気である。
遺跡の地図を見ながら倉庫を目指した。
そこには出土した壷などが並べられている、そこの一角にあるのが人や犬の形に石膏を流し込んだ「型」がある。
この時だけは、2,000年前の「人」や「犬」であった型に対して、最後の瞬間に思いをはせたのであった。
再び、遺跡に戻ると「遺跡の犬は今も生きてます」という意味の看板があった。
これは、悲劇詩人の家の玄関に「番犬注意」という犬のモザイクがあり、その同じ種の犬が今も存在しているという案内であった。
この後、近くを通りかかったツアー一行の後ろにくっついて歩き、ガイドの説明を聞いた。
遺産と言っても、云われがわからないとただの廃墟である。
商人の家や構造などを聞いていると、わかった気になるのでガイドはありがたい。
ツアー一行から離れて、出口近くの秘技荘へ。
雨がまた強く降り出した。
ここにフレスコ画「ディオニウスの秘技」がある、ポンペイの赤という独特の色を使い、入信から作法の連続絵画である。
2,000年前の色とは思えないほど鮮やかに残っているが、自然のままに保存しているので、いつかは色褪せて崩れて土に帰るのであろう。
それも、また良いかな。
11時前、ようやく雨も上がり、それとともに観光客も増えてきて、街歩きを楽しむかのように遺跡内を散策している。
南へ向かいコロッセオや商店街を歩く、歩いているうち、この遺跡の広さと保存状態からポンペイという街が徐々に衰退したのではなく、一瞬で歴史が止まってしまったことを感じることができた。
私にしては珍しいことである。
その広い遺跡も、観光シーズンの京都の清水坂状態になってきたので退散することにしましょう。
出るとき一度だけ振り返って遺跡を見た。
ここは間違いなく2000年前を今に伝えるタイムカプセルである。
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