レクイエム


ベトナム戦争。
開戦が1955年11月1日、終戦1975年4月30日まで続いた南北ベトナムの統一戦争である。(開戦日は諸説あり)
ベトナム戦争に関しては、ベトナムの旅行記で何度も触れてきたので詳細は省く。
この戦争の特徴は、メディアの取材がオープンで、どこでも従軍し取材が可能であった。そのため、多くのニュースが世界に発信され、LIFEなどの雑誌、自宅のテレビで戦闘を見ることができた戦争である。
世界各国からメディアの特派員、スクープをものにしようとフリーランスがやってきた。
そして多くの記者、カメラマンが亡くなった戦争でもある。
カントーの項でも記したが、ベトナムの主要都市にはホーチミン記念館など、南北統一までの戦争の博物館がある。
そのなかでも代表的なのがハノイのベトナム軍事歴史博物館とサイゴンの戦争証跡博物館である。
戦争証跡博物館は、2000年に行ったのが最後である。

6月の大阪北部地震で私の家のある高槻市が震源地だった。幸い家は無事だったが食器や本などが散乱した。
その後片付けをしていたとき、崩れた本の山から「REQIUEM(レクイエム)」(1997年 ホースト・ファース、ティム・ペイジ編、集英社刊)という大判の写真集がでてきた。
これはベトナム戦争で亡くなったカメラマンの遺作写真集である。
20年ぶりに読み返しても人の心を打つ。
こんなこともあり、今回のサイゴンでは久しぶりに戦争証跡博物館に行ってみることにした。













入場料は40,000D(=200円)。
建物が新しくなっている。
1階の吹き抜けフロアでは高校生が団体で説明を聞いている。
建物前の広場には兵器が展示されている。
綺麗に迷彩色に塗り直されている。
その中にF5E TigerⅡという戦闘機がある。
「以前はなかったのに、何処から持ってきたのだろう?」


新しくなった建物の3階に上がり、案内どおり1番目の部屋で「歴史的真実」としてベトナム戦争のアウトラインを見た後、2番目の部屋へ。













そこで私は凍りついてしまった。
「冗談じゃないよ…」
その部屋のテーマは「回想」…REQUIEM
そして入口には見知った写真が…







中に入ると写真と解説が…私は鳥肌が立ち、そして感情が高ぶってきた。
そう、つい2週間ほど前に読み返していた写真集「REQUIEM」のプリント展示である。
なんという偶然、涙が出そうなる。









沢田教一「Free to Safty」





写真1枚ごとにベトナム語と英語の解説がある。
どれも大伸ばしなので圧倒的な迫力で迫ってくる。
ラリー・バローズ、アンリ・ユエ、沢田教一の写真もそうだが、最後の一ノ瀬泰造の弾丸が当たりペンタプリズムが吹っ飛んだNikon Fのボディの写真では完全に足が止まり動けなくなってしまった。
全て写真集で見ていたのに身体が震えてくる。



峯弘道「誤射で打ち落とされた友軍機」







一ノ瀬泰造の遺品Nikon F

この戦争で135人のカメラマンが亡くなっている。その中には北ベトナムのカメラマンも含まれている。
先ほど、1階で説明を受けていた高校生たちがやってきた。
関心のある写真をスマホで撮って駆け足で去っていく。

残り半分はベトナム写真を撮り続けた石川文洋氏と戦争終結後、枯葉剤の惨状を撮り続けた中村悟郎氏の写真。
両者の写真も見る者に迫ってくるものがある。
枯葉剤で障害を負った人たちのサポートルームもある。
サイゴン陥落までの作戦展示など興味を引くものも多い。







また北ベトナムを支援した国や団体の資料も展示されている。日本の「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)の資料もある。









落とされた爆弾の破片でつくられた「鋼鉄の母」























広場には前述のように多くの兵器が展示されている。

























敷地の一角に捕虜収容所の一部も移築してある。
北ベトナムの捕虜収容所、通称“ハノイ・ヒルトン”が有名であるが、南でも同様である。














ベトナムだけでなく、多くの国で軍事博物館や戦争関連の博物館があり、私もよく行く。ベトナム戦争が終結して43年、まだ戦争体験者が多く存命しているが、いずれ戦後世代が多くなっていく。そのためにも負の遺産を後世に伝える施設も大事であると、このような施設に行くたびに感じることである。



壁面には中村悟郎の「枯れ葉剤で枯れたマングローブ樹林」が展示されている

9時に入館して、出たのは昼前であった。


大統領官邸にて

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