プラターそして旅の終わり


午後、まず昨晩、ビア・レストランに行く時、トラムの駅から見た白く二つの鐘楼をもつ教会へ。
ヴォティーフ教会。
造形が私の好みである、特に尖塔の内部の螺旋階段の曲線がアクセントになっている。
(高所恐怖症の私は上りたいと思わないが)



















そして、この教会の近くにある、五つ星ホテルの「オテル・ド・フランス」、ここの入り口の造形も素敵である。

次は、郵便貯金局へ。
ここは19世紀末、ウィーンを代表する建築課オットー・ヴァグナー設計のビルであり、今でも現役で使用されている。
外観は、石版をアルミのボルトで固定するという大胆な設計、中に入ると直線と曲線が融合している。
天井からは柔らかい光が注ぎ込んでいる。
100年前の設計と思えない建物である。
奥にはオットー・ヴァグナーのミュージアムとなっている。









直線と曲線の組み合わせが美しい























これで、今回ウィーンで訪問したいと思っていた場所は、1ヵ所を残してすべて行った。
もちろん、行っていない観光スポットが多く残っているが、それは次に来た時に行けばいい。













郵便貯金局からリンク沿いの市立公園を歩いていく。
午後の日差しの中、人々がくつろいでいる。
私はスナップを撮りながら歩いて行く。
シューベルトやブルックナーの像などを見て、ヨハン・シュトラウス像に到着。
そのまま、リンクを歩き、モーツアルト像に着いたが、生憎、工事中であった。



















































ヨハン・シュトラウス像の前は写真待ちの列












そして、今回の旅、最後の目的地へ。
郊外にある大観覧車「プラター」である。
年配の方であればご存じであるが映画『第三の男』の舞台になった所である。
地下鉄プラタ-駅を出ると、そこは整備されテーマパークになっており、一瞬、場所を間違えたのかと怯んでしまった。



観光用のトラム













テーマパークになっていた












1990年、Uとの旅でウィーン3泊目の最終日、プラタ-に来たのである。
当時は駅からプラタ-の間は土産物屋や屋台、小さなゲームセンター程度があるぐらいであった。
そのイメージがあるため、このような施設になっているとはイメージできなかった。
ここでのUとの思い出は、私が、ゲームセンター内にあるスロットマシンで、5シリング(当時はユーロでなくシリング、1シリング=約12円)でジャクポット、500シリングを当てたのである。
すべて派手な音ともにジャラジャラと硬貨がでてきた。財布に入らないので手持ちのビニール袋に入れたのである。
その後、男2人で観覧車に乗り、第三の男のテーマ曲を口ずさんでいたのである。
当たった500シリングは、その夜の夕食できれいに使ってしまった。
翌日、Uはフランスのストラスブールへ、私はウィーン空港からフランクフルトへ、そこからシンガポール経由で帰国したのである。
今回の「記憶をたどる旅」の最後は、ここにしようと決めていた。



これがプラタ-(大観覧車)











さすがに一人で観覧車に乗る気は起こらなかった。
当時の面影は観覧車以外は何も残っていないが、最後にここに来ることができて満足であった。







夜、プラハからウィーンに来るとき車中で一緒だったKさんと待ち合わせて、昨日、行ったビア・レストランへ。
ウィーンでの出来事、今回の旅のこと、日本での生活など話しながら、楽しい夕食であった。
一人旅に慣れているので旅行期間中、日本人と会わなくても平気なのだが、でも旅を共有できるのは良いものである。

































最後はグヤーシュで

翌朝、10時過ぎに空港へ。
Kさんは、ヘルシンキ経由ということなので、私より2時間早く出発しているはずである。私は帰路は、オーストリア航空の成田直行便である。
20数年ぶりのウィーン空港も、当時はこぢんまりとした空港だったのが、大きくなり記憶にある空港とは違う空港になっている。
搭乗を待っていると、向かいのエプロンにイスラエルのエル・アル航空が駐機しているのが見えた。
「次はイスラエルかな」
今回の12日間の旅、私にとって数少ない友人との2人旅、Uが亡くなり、そこに置いてきた自分の記憶をたどる旅であった。
センチメンタルな感情ではなく、Uと共有した時間を確認したことができた旅だった。















イスラエルのエル・アル航空












搭乗前にいつものおまじない
「そうさ、また来るさ!」

2014.8.11~23


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