再会


19時、mibuさんとホテルのロビーで待ち合わせて、食事へ。
その店は、好きな料理を選ぶスタイルで、様々な料理を注文した。
味はどれも美味しく、地元の人達も多く来ているのもうなずける。





















やはりビールには氷をいれて







カエルに鰻に朝顔菜に・・・











































どれも美味しかった、ごちそうさま













そして食後はmibuさんの住んでいるファングーラオ通りへ。















以下は、5月5日のブログにアップした日記からです。

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昨日、サイゴンに戻ってきました。
夜7時、サイゴン在住のmibuさんと再び食事をして、食事の後、ファングーラオ通りに行きました。

サイゴンのファングーラオ通りは、バンコクのカオサンなどとならんで旅行者の集まるエリアで有名です。


mibuさんは、システム・エンジニアでファングーラオにあるホテルに逗留(住んで)して仕事をしています。
彼にとってトーキョーでもニューヨーク、バンコク、サイゴン・・・ネットがつながる環境であれば何処でもいいわけで、彼はサイゴンが気に入り、年間7ヶ月ここに住んでいます。

私も13年前、初めてベトナムに来たとき最初に泊まったのが、このエリアでした。

mibuさんに案内してもらいファングーラオに来たものの13年前より遙かに賑やかになり、別の街になっていました。

「mibuさん、私が前にきた時、路地に入った奥のゲストハウスに泊まっていたのですよ。たしか、こんな雰囲気の路地だったのですよ。」
と、私は一つの路地に入っていきました。

「そうそう、しばらく奥に行って右側だったのですよ。もしかしてこの通りかな?」
「ogawaさん、行ってみましょうよ。」
2人で奥に進んでいくが、記憶にある建物がない。
だいたい、このあたりであろうという場所に来てみたが、そこはトラベル・エージェンシーで、やはり違うようである。
「mibuさん、どうも違うようです。」
「ogawaさん、そこの人に聞いてみましょうよ。」
エージェンシーの受付には35歳ぐらいの男性が座っていました。

私はスマホを取り出して、Wi-Fiの波が拾えるかどうか試すと、あるわあるわフリーの波が。
そこで自分のホームページにアクセスし、1999年のベトナム旅行記のを呼び出しました。
そこに写っている親子と、書いている記事から「Huron」というゲストハウスで、娘の名前がTienということがわかりました。


そのページを表示して、mibuさんが、その男性に英語とベトナム語を織り交ぜて聞いてくれました。
しばらく、その親子の写真を見ていた男性は言いました。
「お母さんを知っている。このゲストハウスはHuronからThai Nhiという下宿屋になっている。
と言いながら名刺の裏に名称と所在地を書いてくれました。


mibuさんと私は「わぁ、知っているんだ。このお母さん、この界隈では有名なのかも」と言ってメモをみた瞬間。
「ogawaさん・・・この住所・・・ボクの(住んでいる)ホテルの向かいです・・・なんか震えてきました。行ってみましょう。」
「えーーっ!ほんとですか?」
「そうです末尾の偶数が通りの右側、奇数が左側を意味しています。」
mibuさんの住んでいる通りに向かいました。
その場所は結構、離れていました。
どうやら私は見当違いの通りに入っていったようです。

その場所につきました。
まったく記憶とは違いました。


1階は古本屋というかロンリープラネットが積み上げてあります、そこにいる女性に親子の写真を見せてききました。
「ああ、このお母さん、私のボスです。そこにいないかしら?」
と教えてくれたのは、一軒隣の路上で数人の女性がお茶を飲んで談笑していました。

そこへ行き、そのグループにスマホを見せたところ、皆さん驚いて、「お母さん、そこにいるはずよ」と先ほどの店を指さしてくれました。
なんだかんだ言っていると当人が現れました。


これが当時の写真です。


私はスマホを見せて13年ぶりですと挨拶すると、とても喜んでくれました。
ただ、一緒に写っているTienは、郊外で高校の先生をしているとのこと。
お母さん、当時より若くなっていました。








そして、そのグループにはお母さんの娘さんであり、Tienの妹さんであると自己紹介してくれました。
mibuさんはmibuさんで(自分のホテルを指さして)ここに住んでいるなどと盛り上がっているました。


右の女性が妹さん。


その時、妹さんが、私に携帯を渡して「今、Tienと電話つながっているわ。話をしたら。」と電話を渡してくれました。
もう私はビックリ。私はTienを知っていますが、向こうからすれば当時、数日泊まっただけの客にすぎません。
それでも彼女と話しをすることができました。
なんか、もう、それだけで嬉しくて。

mibuさんも「ううん、良いですねぇ。」と一緒になって喜んでくれている。
挨拶をして別れ、コーヒーを飲みに行きました。













mibuさんはこの界隈の住人でもあるので、あちこちから声がかかってきます。
いつも行く店でコーヒーを注文して、「すばらしい夜だ」と感想を言っていました。
もし、スマホでなければ、Wi-Fiが繋がらなければ、ホームページで残していなかったら・・・この再会はあり得ませんでした。
なんという偶然でしょう。


その時、私たちに「ハロー」と声がかかりました。
見上げると一人の女性が。
「Tien・・・!?」私はすぐにわかりました。

「妹から、黒っぽいTシャツを着た2人の日本人と聞いて来たから探したわ。」
もう、驚きで言葉が続きません。
なんと当人が電話だけでなく、わざわざ私たちを訪ねてきてくれたのです。
当時、高校生でしたから、今は20代後半でしょう。
写真の面影そのままです。


高校出た後、生活が苦しく4年間服の販売の仕事につき、その後、高校の先生になったとのことです。
私はただ嬉しくてニコニコしているだけで、ほとんどmibuさんが聞き出してくれました。
当時の写真がほとんど無いので、データを送ると約束してメールアドレスを交換して別れました。


別れしなに、バイクタクシーに乗るとき、カメラをたすき掛けにした時、彼女は「(ひったくりが多いから)カメラには気をつけて。」と言ってくれました。
この言葉は、13年前、レンズ交換がしやすようにカメラバッグの上を開けたまま撮影してホテルに戻るとTienが「カメラには気をつけて、ちゃんと閉じて」と言っていた台詞と同じです。
13年経って、また、同じ言葉を聞くことになるとは。


サイゴン、最後の夜。とても嬉しく幸せな夜でした。



ホテルに戻り屋上のBARへ













最後はこのホテルの思い出のドライ・マティーニ


そして、mibuさん、貴方がいなければ再会なんてありえませんでした。
ほんとにありがとう。

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このブログは、感動を忘れないために、翌朝、ホテルの部屋で書いてアップしたものである。
帰国後、約束どおり当日の写真のデータをTienに送り、たまにメールのやりとりをしている。